
1990年12月、武豊騎手を背にラストランとなった有馬記念を制覇したオグリキャップ
「芦毛の怪物」が育った聖地・笠松競馬場からの立身出世、中央サクセススト―リー。野武士オグリキャップが有馬記念を2度制覇し、天下取りを成し遂げた。
笠松競馬場を舞台にしたテレビアニメ「ウマ娘シンデレラグレイ」の放送もスタート。新入生のオグリキヤップはカサマツトレセン学園で大食いキャラぶりを披露。競馬場でのゲート練習では、いたずらされて出遅れながらも豪脚ぶりを発揮した。「俺と一緒に天下を取らないか」と夢見る笠松の北原穣トレーナーと、全国のウマ娘ファンのトレーナーたちのハートを熱く燃え上がらせた。
キャップは年明けのゴールドジュニアでも、芦毛の宿敵マーチトウショウに2馬身半差をつけて重賞5連勝。東海ダービーも勝てそうだったが、トレード話が持ち上がった。中京・芝コースでの走りも素晴らしく、地方・笠松から中央の舞台へと殴り込みをかけることになった。
■キャップは既に古馬の風格、タマモクロスとの頂上決戦で単勝勝負
JRA「優駿」4月号の「生誕40年特別企画 わたしたちのオグリキャップ~今なお愛され続ける理由」の取材を受け、中央時代の芦毛の怪物ぶりにも話が及んだ。キャップの単勝に賭けた自らの馬券作戦とともに振り返った。
1987年当時の笠松では、中央から転入したフェートノーザンやワカオライデンが重賞で競い合っていた。生え抜きのポールドヒューマは、キャップと同じく青木達彦騎手の手綱でデビューし、中山・オールカマーに挑戦(12着)したほどで、強い馬がいっぱいいた。そんな中で、若駒キャップの移籍は厩舎関係者や一部のファンの注目を集めたが、マスコミをにぎわせるほどではなかった。

現役時代のオグリキャップ。秋の天皇賞では2着が続いた
それでも笠松、東海公営だけの枠に収まらないスケールの大きさ。明け3歳(旧4歳)、キャップは中央移籍初戦で既に古馬の風格を漂わせており、高額なエリート馬たちを子ども扱いにした。阪神・ペガサスSでは最後の直線で突き抜けて3馬身差で圧勝した。
笠松時代に12戦をこなしており急成長。アンカツさんらが大事なことを教え込んでいた。落ち着いたレース運びを見せ、4コーナーから末脚を生かし、最後の直線で豪脚を発揮する必勝パターン。中央デビュー後、重賞6連勝と快進撃を続けた。
天皇賞・春、宝塚記念とGⅠ連勝中だったタマモクロスとの芦毛対決では「どっちが強いか」を決める頂上決戦となった。ウインズ名古屋で2頭のオッズを注視。キャップの単勝210円に対して、タマモクロスとの枠連は240円。「ここは最強馬を決める一戦。タマモクロスを倒してほしい」との思いが強くなった。
キャップの単勝に賭ける結論に至り、10万円勝負に出た。最後の直線、2頭が抜け出した。タマモを追ったキャップ。ゴールまで1馬身4分の1差は詰まらず、芦毛の怪物が中央で初めて味わった屈辱。結果はキャップの2着に終わったが、負けて強しの一戦でもあった。
昭和最後の名勝負と呼ばれた有馬記念。タマモを倒して勝ったのはキャップだった。初のGⅠ勝利は岡部幸雄騎手との1回切りのコンビで、世代交代を果たす1着ゴール。単勝とタマモとの枠連を買っていて、これが大当たり。何か記念の物を残そうと、レース直後の夕方には「祝有馬記念制覇」の思いを詰め込んで、革ジャンを買い込んだ。当時のキャップの雄姿を思い起こす宝物として今も大切に飾ってある。

JRA時代、食欲旺盛で元気いっぱいだったオグリキャップ
■ベストレースは89年の毎日王冠、イナリワンに壮絶ハナ差勝ち
キャップのベストレースを問われ「89年の毎日王冠」と答えた。当時はバブルの真っただ中。キャップ最強を信じて、GⅡレースでもやはり単勝に10万円をぶち込んでいたから余計に力が入った。タマモと同じように天皇賞・春、宝塚記念を連勝したイナリワンが参戦し「平成3強」の2頭が初対決。最後の直線の攻防にしびれた。「200を切って大接戦、胸を締め付けられるような戦い」と実況の声が響いた。
ラスト50ほどではイナリワンが前に出たが、ゴール前ではキャップが差し返し写真判定となった。壮絶な戦いは「ハナ差」でキャップが勝っていて大興奮。何度もスロー再生を見て、キャップが負けているようにも感じたが東京競馬場のテレビ画面は、笠松のように外がやや有利。単勝は140円だったが、ゴール板の位置を知っていたキャップが本領を発揮してくれ、ますますその魅力にはまっていった。
89年秋、キャップはオールカマーから有馬記念まで99日間に計6戦も走った。近年では天皇賞・秋、ジャパンC、有馬記念のGⅠ3戦完走は激減。アーモンドアイ、イクイノックスはジャパンC勝利がラストランとなった。キャップの過酷なローテは「24時間戦えますか」という栄養ドリンクのCMみたいで「リゲインホース」とも呼ばれた。疲れを知らないバブル戦士のビジネスマンのように酷使に耐えて走り続けた。毎日王冠を連覇した馬はキャップが初めてで、その後も出ておらず。消耗度の激しさを物語り、顔ぶれ豪華な「スーパーGⅡ」の代表的なレースとなった。

レースでは「ゴール板の位置を知っていた」と言われ、勝負根性を発揮したオグリキャップ
■天皇賞・秋でクビ差届かず、マイルCSはハナ差勝ち
毎日王冠に続く天皇賞・秋は東京競馬場でライブ観戦。最後の直線でインを突き、ヤエノムテキに前をカットされ、一瞬スピードを落とし外に持ち出す姿を目撃。「何をやっているんだ」。一瞬、時間が止まったようで凍り付いたのを覚えている。スーパークリークにはクビ差届かなかったが「大外をぶん回していれば勝てたのに」という思いが強かった。大口の単勝馬券は紙くずと化した。
キャップはマイルCSでもバンブーメモリーにハナ差勝ちしたが、ここでも単勝勝負。「わずかに内か」と杉本清さんの名実況。写真判定は長かったが、電光掲示板の1着に「1」が点灯してくれた。ハナ差では笠松も含めて3戦3勝と勝負強さを発揮した。ゴール前の首の上げ下げ。キャップは沈み込むようなフットワークで、いつも鼻先が前に出ていたのだ。
■ジャパンCではスーパークリークを競り落とし、クビ差2着
マイルCSで南井克巳騎手は「勝って当然の馬で前走(天皇賞・秋)負けていますからね。ジャパンCで倍にして返します」と涙声になり、こちらも感激した。ジャパンCへのGⅠ連闘策は過酷だったが「きついローテでの強さは笠松仕込みで、やってくれそうだ」と期待が膨らんだ。笠松時代には10月、ジュニアクラウンから芝の中京盃まで「中9日」で圧勝していたからだ。
2400メートルのジャパンCには外国馬も凱旋門賞馬キャロルハウス、世界レコードホルダーのホークスター、前年の覇者ペイザバトラーなどすごいメンバーだった。1800メートルの日本レコードを上回る超ハイペース。2番人気のキャップは4、5番手を進み、4コーナーで1番人気スーパークリークを競り落としたシーンは痛快だった。天皇賞・秋では不利があって差し届かなかったが「絶対にキャップの方が強い」と信じていたからだ。
勝ったホーリックスも芦毛でニュージーランドの6歳牝馬。「頑張れ、オグリキャップ」「追ったが届かない」の実況が耳に強く残っている。2分22秒2は当時の世界レコード(2400メートル)。この日は単複を5万円ずつ勝っていて、複勝は210円だった。クビ差で敗れはしたが、スーパークリーク(4着)に先着し、日本馬最強馬を証明できた。

ラストランとなった有馬記念を勝ったオグリキャップと武豊騎手。ウイニングランでオグリコールを浴びた
■爆発的な競馬ブームの立役者、永遠のオグリコール
ラストランとなった90年の有馬記念。予想紙は無印も多かったが、熱狂的なファンが4番人気に押し上げた。前々走の天皇賞・秋が6着、ジャパンカップは11着に沈んだ。着順だけで「惨敗した、もう限界だ」「これ以上走らせないで」とも言われたが、勝ち馬とのタイム差は0秒7、0秒9とそれほど負けてはいなかった。コーナーでちょっと振られれば、その程度のタイムロスはあるのでは。
「優駿」の記事でも紹介されているように、キャップの単勝と枠連(キャップ→ホワイトストーン、メジロライアン)で勝負し的中できた。オグリコールが鳴り響いたラストランでの場内の沸騰ぶりは、午後7時のNHKニュースなどでも流れた。ぬいぐるみを抱えた若い女性が競馬場に殺到し、キャップは爆発的な競馬ブームの立役者となった。「競馬をやらないが、オグリキャップの名は知っている」という人は多く、社会現象にもなった。オグリコールは永遠の響きとなって、ファンの心を熱くする日本の競馬史上最高の名場面となった。
■ここ一番で勝負強さ、長嶋茂雄選手のような存在
オグリキャップは記録よりも記憶に残る名馬でもあった。プロ野球でいえば、現役時代の長嶋茂雄選手のような存在だった。負けることもあったが、ここ一番で勝負強さを発揮した。引退レースとなった有馬記念のように有終の美を飾った。
巨人Ⅴ9の時代は、自分の10代の頃と見事にかぶっており、当時から熱烈な長嶋ファンだった。天覧試合のサヨナラ弾など劇的な一打でファンを魅了。後楽園球場での引退式では、大学の授業を「自主休講」にして駆け付けた。引退デー、ダブルヘッダーの第1試合にホームランを打ち、引退あいさつでは「わが巨人軍は永久に不滅です」と別れを告げた。「燃える男」が完全燃焼で現役ユニホームを脱いだ。
オグリキャップのスター性、カリスマ性は「競馬界の長嶋茂雄」と感じるほどだ。
勝っても負けても、見る者の心に感動を与える走り。限界説を一掃したラストランⅤとオグリコール。もうこんなドラマチックな馬は日本で出現しないだろう。記録の面でGⅠは4勝と物足りないが、これはクラシック登録がなかったため。「幻のダービー馬」と呼ばれたし「幻の3冠馬」でもあった。登録があればGⅠは7勝していたと思う。

1990年6月、宝塚記念でパドックを周回するオグリキャップ
■「0秒9差」で負けた穴馬に注目、214万馬券もゲット
「優駿」の記事にもある「前走0秒9差」については、予想紙上で無印にされることも多いタイム差だが、馬券的には意外と妙味があった。初めてゲットした3連単100万円超は、松岡正海騎手が騎乗したジェイケイベストという12番人気の馬で、前走が0秒9差で負けていた。二日酔いの寝起きでフラフラしながら、適当に3連単1頭軸マルチで買ったら、無印のジェイケイベストがインから頭まで突き抜けて幸運を射止めることができた。
その後も「近5走以内、0秒9差の穴馬」に注目。3連複14→13→11番人気で214万円なんていうミラクル馬券を的中したこともあった。自己流で皆さんもやっているだろうが、サイン馬券とか、こだわりのオリジナル馬券で的中できれば最高だ。
今回「優駿」でオグリキャップ特集を執筆された谷川直子さんといえば、同じく作家で競馬通の高橋源一郎さんがかつての夫だった。89年のJRAベストレースでキャップの毎日王冠を挙げておられており、覚えていた。東上初戦のNZT4歳Sが圧巻で「日曜日の昼下がりに馬なりの調教」とも評された持ったまま7馬身差圧勝。谷川さんはそれ以来、キャップのレースを観戦し続けたという。

稲葉牧場で生まれたオグリキャップ。鷲見昌勇調教師が種付けを依頼した
■鷲見昌勇調教師のおかげ、稲葉牧場で種付けしキャップ誕生
「ウマ娘シンデレラグレイ」では、カサマツトレセン学園入学からスタートしているが、オグリキャップの誕生は鷲見昌勇調教師の功績が大きく、国民的スターホースを育てるキーマンにもなった。
地方競馬でも馬探しは、見る目が確かな調教師の「相馬眼」がとても大切になる。鷲見厩舎から稲葉牧場に送り出され、繁殖牝馬となっていたホワイトナルビーに「1600メートルまでで勝てる馬を」とダンシングキャップを種付けしたからこそ、オグリキャップは誕生した。鷲見調教師と小栗孝一オーナーは岐阜県郡上市出身の名コンビで、キャップの活躍とともに笠松競馬の名を全国にとどろかせた。
父ダンシングキャップが短距離のダート馬のため、オグリキャップはよく「血統は二流」「突然変異」と紹介されることも多い。だが注目したいのはダンシングキャップの父ネイティヴダンサー(米国)の戦績。やはり芦毛で22戦21勝という驚異的な勝率で、唯一の敗戦がケンタッキーダービーでアタマ差2着のみ。いつの間にか先頭に立ち「グレイゴースト(灰色の幽霊)」とも呼ばれ1952年度、54年度のアメリカ年度代表馬に選出された。キャップの豪脚は父父の血を継承した「隔世遺伝」によるものだったのでは。
母ホワイトナルビーは産駒15頭が全て勝利を挙げ「総勝利数133」というすごい数字。
キャップとオグリローマンの2頭が中央のGⅠ馬に輝いた。キャップの購入で鷲見調教師は、当初150万円を稲葉牧場に出して笠松に連れてきた。よく走り連勝を続けたので、小栗さんに「稲葉にもう100万円出してやってくれ」と牧場に行った時に頼んだ。小栗さんは気前良く出してくれたという。
こうしてキャップは合わせて「250万円の馬」になった。その馬が9億円以上を稼ぎ出す「芦毛の怪物」とも呼ばれる名馬に大化けした。馬券に換算すれば「250万円→9億1251万2000円」で、キャップを購入して「単勝365倍の万馬券」が大当たりしたことにもなったのだ。馬主をやっていればこんな幸運も舞い込んでくることがある。

名鉄笠松駅構内の「ふらっと笠松」に掲示されている「ウマ娘シンデレラグレイ×笠松競馬コラボ開催」やテレビアニメ化をアピールするポスター
■ふらっと笠松は聖地巡礼の拠点、FC岐阜ユニホームや日本酒にもキャップ
ところで今年が「オグリキャップ生誕40周年」ということでクローズアップされている。これまで競走馬が「生誕○周年」でイベントまで開かれて、その功績がたたえられことは少なかったが、キャップは別格。やはりこれは生誕40周年のタイミングで「ウマ娘シンデレラグレイ」がアニメ化されたことも大きいのでは。
名鉄笠松駅構内の土産物店で、聖地巡礼の拠点「ふらっと笠松」の入り口には、ウマ娘シンデレラグレイ×笠松競馬コラボ開催(4月29日~5月2日)やテレビアニメ化をアピールするポスターも掲示されて盛り上げ。店内では「オグリの里」(聖地編など1~3巻)も販売されている。
名鉄は「ウマ娘シンデレラグレイ」とのタイアップ企画を13日から6月30日まで開催。スタンプラリー(笠松駅、岐阜駅など7駅)やラッピング電車の運行と出発式(13日・岐阜駅)、オリジナルグッズの販売を行う。今年で4回目となる「ウマ娘シンデレラグレイ賞」は4月29日、笠松競馬10Rで開催される。
サッカーJ3のFC岐阜の選手は、オグリキャップとのコラボユニホーム姿でもプレー。「オグリキャップのように、FC岐阜も多くのライバルたちとの勝負に打ち勝ち『頂点=優勝』を目指して熱く戦っていきます」とコラボが実現した。5月6日のホームゲームでは「競馬DAY」イベントを開催。スペシャルゲストとして田口貫太騎手、西塚洸二騎手、笠松競馬応援番組「笠馬Ⅹ(カサマックス)」でも活躍するFC岐阜応援隊長・SKE48の太田彩夏さんも来場し、スタジアムを盛り上げる。2月には笠松競馬場で「頂点へ駆け上がるFC岐阜開幕戦」の協賛レースも開かれた。
長野の酒蔵は、生誕40周年の祝い酒として誕生日の3月27日に日本酒を発売。小さな地方競馬場育ちの馬が有馬記念を2度も制覇し、日本一になった出世馬にあやかり、観光資源としても活用されている。これまでオグリキャップの立身出世の名声、集客力を地元で生かし切れていないと感じていたので、今後も「聖地・笠松」をどんどんアピールしていくべきだ。

1991年1月、笠松競馬場で開かれたオグリキャップの引退セレモニーではアンカツさんが騎乗した(笠松競馬提供)
■NHK「あの日 偶然そこにいて」などでも特集
昨年末の有馬記念前には、NHK特番「あの日 偶然そこにいて」で「怪物オグリキャップ 伝説のラストラン」が放送された。当時のニュース映像に映り込んだファンを追跡。有馬記念当日、中山競馬場でテレビに映ったファンは見つからなかったが、笠松競馬場での引退セレモニーに来場したファンの一人にたどり着いた。
当日はゴール前にいたが、3万人以上が殺到。昨秋「ニュースに映った人で、誰か知っている人は」と番組取材班の聞き込みを受けたが分からず。「場内の丸金食堂などで聞いてみたらご存知かも」と提案。その通り「丸金食堂→喫茶店のマスター→同級生」へとつながり、当時NHKのインタビューを受けた女性が見つかって良かった。番組の最後、多くの協力者の一人として画像をアップしていただけ、うれしかった。
またフジテレビ放送の「ザ!昭和の99大ニュース」では、オグリキャップのラストランも82位にランクイン。笠松競馬時代のデビュー戦専門紙を発掘したオグリの里も協力。出走表の一部が表示された。毎年、有馬記念の季節になると、オグリコールと共にスペシャル番組で登場するオグリキャップ。引退して35年にもなるが、テレビや雑誌への登場は圧倒的に多い。こんな馬やはりもう出現しないだろう。

2005年4月、笠松競馬復興へ里帰りしたオグリキャップ。アンカツさんと再会した
■地方発のサクセスストーリーに自分の人生を重ね合わせて共感
JRAでは白毛のソダシや、世界ランク1位となったイクイノックスらが引退。その後、国民的スターホースは不在となった日本の競馬界。昭和から平成、令和へと世紀をまたいでも色あせない輝きを放ち続けるオグリキャップは、スポットライトを浴び続けている。
ダートではサウジCを制覇し世界ランク1位となったフォーエバーヤング(「ウマ娘」の藤田晋さんオーナー)が、ドバイワールドカップにも挑戦したが3着に終わった。今後は、芝のレースでも世界に通用する国民的スターホースが出現することを期待したい。それが地方競馬出身馬なら最高だ。ハイセイコーやオグリキャップのように、地方発のサクセスストーリーに多くのファンは、自分の人生を重ね合わせて共感を呼ぶからである。
☆ファンの声を募集
競馬コラム「オグリの里」に対する感想や意見などをお寄せください。笠松競馬からスターホースが出現することを願って、ファン目線で盛り上げていきます。
(筆者・ハヤヒデ)電子メール ogurinosato38hayahide@gmail.com までお願いします。
☆「オグリの里3熱狂編」も好評発売中
