滋賀県東近江市の百済寺で発見された織田信長の朱印状に押印された「天下布武」の朱印

 滋賀県東近江市の百済寺で所在不明だった織田信長の朱印状の原本が約100年ぶりに発見され、28日、市が発表した。初期の「天下布武」の朱印で寺の権利や財産などを保障する内容。寺を信長の祈願所と位置づけて対抗勢力の来訪を禁止した条文もあり、寺を特別視していることが珍しいという。

 市によると、朱印状は縦31センチ、横43・6センチ。信長が永禄11(1568)年9月に足利義昭を伴って岐阜から上洛した途中、対抗勢力であった六角氏の居城があった観音寺城(滋賀県近江八幡市)を落とし、周辺を支配下に収める際に地域の有力な寺社である百済寺に発給。条文は信長の右筆だった武井夕庵によって書かれたとみられる。