「私には後悔していることがあります」。生活保護行政を担う岐阜市生活福祉2課長の梅村明美さん(53)もまた、越智しづ子さん(73)=仮名=と関わった1人だった。
5年前の襲撃事件で亡くなった男性と共に橋の下で暮らしていた越智さんは、事件後、アパートに入居して生活保護を受給するようになった。しかし、アパートを抜け出して連絡が取れなくなり、暮らしぶりを知ることができなくなった。日中に何度か越智さんがいると推測される場所へも出かけたが、会えない。確かめられるのは、そこで誰かが生活しているという跡だけだった。
越智さんは、耳目を集めた事件で大切な人を失った被害者。何とか支援を続けられないかと思案したが、結局は「失踪」の扱いとなり、生活保護は2年ほど前に打ち切りとなった。越智さんだけに時間を割き過ぎることもできない。やがて足は遠のいた。
「(アパートに入る段階で)相談できる話し相手がいれば、再び路上に戻るのを防げたかもしれない」。市職員として、どこまで関わるべきだったのか。支援団体などの「伴走者」につなげられたら良かったのでは。今も悔やんでいる。
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生活保護の相談が申請に結びつく割合(申請率)が2021年度は19・5%と県内で唯一、2割を切った岐阜市。全国平均(65%)に比べても「極めて低い」ことから「申請権を侵害している恐れがある」とした県の監査に関し、昨年3月に市議会で追及を受けた。相談時に職員2人で対応するようにするなど仕組みを見直したほか、相談員らへの研修を繰り返し、24年度は46・5%(昨年12月時点)にまで上昇している。
併せて推し進めたのが、担当課の職員が能動的にニーズを探る「アウトリーチ」だ。梅村さんは昨年夏ごろから、JR岐阜駅南の清水緑地で毎週水曜に開かれる炊き出しを自主的に訪ねるようになった。
午後6時半ごろに始まるため、終業後に足を運ぶ。集まるのは多い時で20人ほど。当初は市の職員が来ていることを知った常連の当事者から「余分にカネ(残業代)がもらえるで来とるんやろ」といった言葉を浴びせられることもあった。それでも半年以上にわたり通い続けたことで「ようやく関係が築けた」といい、声かけから4人が生活保護の申請につながった。
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梅村さんは入庁以来、主に福祉畑を歩んできた。学生時代に社会福祉を学び、名古屋市内での炊き出しや夜回りに携わったこともある。それでも、アウトリーチを通じて岐阜市のさまざまな当事者や支援者を知り、「見えていない部分があった」。路上には越智さんのように、あらゆるセーフティーネットをこぼれ落ちていく人がいる。清水緑地の炊き出しの列には、「生活保護は受けたくない」という人もいた。生活保護の申請に至った4人のうち1人は、望んだはずの受給が始まった後「失踪」したという。見えていない場所にいたのは、市の窓口を訪れた人に支援制度を示しているだけでは救い切れない当事者ばかりだった。
「私が言えることは、困っているあなたの生活が心配だということ。『あなたが安心して生きていくために、こうしてもらえないだろうか』と伝えていくしかない」。襲撃事件を経て感じた、寄り添う大切さと、難しさ。模索を続けながら、炊き出しに足を運ぶ。
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