岐阜市内で5年前、少年グループに襲撃されて亡くなった渡邉哲哉さん=当時(81)=と長く共に暮らした越智しづ子さん(73)=仮名=。事件直後こそアパートに入居したものの、現在は再び、市内の路上に戻っている。だが「こんな所にずっとおるにはもう年やから」。夏には熱中症のような症状で倒れ、足を打撲したこともあったという。
再び生活保護を受給してアパートで暮らしたいと希望したことから、今月、市内の居住支援法人が部屋探しに動いた。だが、越智さんは「監視されとるみたいで嫌や」と、携帯電話の契約やマイナンバーカードの発行をかたくなに拒んだ。連絡の手段や孤独死のリスク回避のために、いずれも賃貸保証会社が必須にしている項目だったが、このままでは部屋を借りるための審査は通らない公算が大きい。「また同じことの繰り返しになってしまう」。法人は支援を断念した。
◆ ◆
生活困窮者を支援している「岐阜・野宿生活者支援の会」(岐阜市)事務局の清水由子さん(64)は、越智さんのアパートを訪れていた時期があった。越智さんはかつて、会が市中心部の公園で定期的に開く炊き出しの列に並んでおり、事件の前から顔見知りの関係だった。事件を契機に、越智さんのためにと会に寄付された10万円を、清水さんが毎月1万円ずつアパートまで渡しに行っていた。
その後も毎月、越智さんを訪ねた。「状況が好転していくと思った時期もあったんですけど…」。次第にごみ屋敷と化していった部屋の様子以上に気になっていたのは、会うたびにアパートの隣人らへの不信感を募らせる言動を繰り返すことだった。「関わった人のことを、何かのきっかけで悪く言うようになっていくんです」。清水さんは生活面の支えと併せて、精神面でのケアの必要を感じていた。まして越智さんは、少年たちが引き起こした陰惨な事件の被害者だった。
2年ほど前、もはやアパートには戻らなくなっていた越智さんに会いに行ったことがある。越智さんは、傍らにあった腐った食べ物を見やり「これを置いたのはあなたですか」と聞いたという。何げなく発せられた言葉ではあったが、その不信感が「とうとう私にも…」とも感じた。「それから足が遠のいてしまった。もう私が今まで通りに関わるのは難しいと思ったんです。どこかで引かなければ、自分が壊れてしまうのではないかと」
◆ ◆
事件発生からの5年は、清水さんにとって「自分に何ができるか」を改めて考え、行動した年月だった。市の人権教育・啓発推進専門委員として、市内の小中学校でホームレス状態にある人の人権について子どもたちに語り、キリスト教会を拠点にした月例茶話会で当事者とのコミュニティーを構築。それぞれの話に耳を傾け、心を通わせようとしてきた。それだけに、越智さんとの対話は「個々の人生に踏み込み過ぎることはできない」と、支援の限界を感じさせた。
「私たちだけではどうすることもできない相手が、都市部だけでなく岐阜にも確かにいる」。清水さんが出した答えは、遠くからでも越智さんの存在を認め、見守り続けるということだった。たとえ支援の手を遠ざけるような言動が続いても「個人の意思や選択は尊重されるべきだ」とも思うようになった。
一方で、岐阜市のホームレスは国の統計上、0人となっている現実がある。各自治体の職員が一定の期間に目視で確かめる数字への疑問が、清水さんの中でも年々膨らんでいる。「せめて私は、いないことにはしないでいたい」
■ご意見・ご感想お寄せください■
生活に困っている人の支援や孤独・孤立対策など地域社会の在り方について、あなたも一緒に考えてみませんか。メッセージフォームから記事の感想や意見、取材依頼などを自由にお寄せください。