
ブルーリボンマイルで整列する騎手たちと誘導馬のエクスペルテ
「夏場の猛暑にも耐えて、よく頑張ってきた」。笠松競馬の誘導馬2頭が3月末で引退する。出走馬たちを長年先導し、装鞍所と内馬場パドックを往復する長距離ウオーク。「高齢になり、誘導業務の負担が大きくなった」としてファンや関係者に惜しまれながら残りあと2開催。誘導馬騎手と共に人馬一体で「完歩」のゴールを迎える。
エクスペルテ(愛称・ペ君)は2004年生まれで、2月23日が21歳の誕生日。アドマイヤベガ産駒でJRAで1回だけ走ったことがある(新馬戦11着)。08年に4歳の若さで誘導馬デビューを果たした。ウイニーはペットとして飼われていたポニーで「日本一小さな誘導馬」と呼ばれたこともあったが、体は随分と大きくなった。ほぼ同い年でぺ君の2年後にデビューした。愛くるしいアイドルホースとして園田・笠松競馬誘導馬カレンダーに登場したこともあった。
レース開催中は2頭が日替わりでパドックも周回。炎天下や豪雨など悪天候にも耐えて最終レースまでびっしり。猛暑は大敵で、麦わら帽子姿で登場する日もあった。気性が荒い出走馬たちを落ち着かせようと、ゆったりと先導。どちらかが体調を崩すこともあり、ウイニーは4日連続で計45レースを完歩したこともあった。

猛暑の中、麦わら帽子姿のウイニーと誘導馬騎手の塚本幸典さん
■パクじぃらと笠松競馬の安全を支えてきた
乗り役は「つかさん」の愛称で知られる塚本幸典さん(69)。さまざまな仕事を経験し30歳から乗馬を始め、誘導馬騎手として35年以上、笠松競馬場の安全を支えてきた。オグリキャップと同じレースで走ったことがあるハクリュウボーイ(ファン愛称・パクじぃ)が誘導馬になって名コンビとなった。
後継馬のぺ君とウイニーも、日本で唯一の内馬場パドックでの周回や馬場入りする各馬が入れ込んで暴れないよう、いつも優しいまなざしで見守ってきた。テンションが高い出走馬の動きを落ち着かせて、安全確保の面では人馬の「精神的支柱」にもなってきた。

ウイニーは、来場した園児たちに顔をなでられたりして触れ合いを深めた
競走馬とは違って競馬場に行けば必ず会える「白いアイドルホース」としてもファンの熱い視線をを浴びてきた。装鞍所に帰る途中も、立ち止まって声援に応えたり、記念写真に収まったり。園児らの競馬場見学では「お馬さんだ~」と大人気。パクじぃは目の不自由な人らとの触れ合いを深めたこともあり「ホースセラピー」として癒やし効果も期待された。
今夏、70歳を迎える塚本さんは、誘導馬2頭と共に本年度限りで引退することを決断された。1日10~12レース、計15キロ前後にも及ぶ誘導馬の長距離ウオークを先導し、装鞍所での待機中も馬体のケアに努めてきた。過酷な業務の中、愛情を注いできた相棒たちと過ごしてきた長い日々と誘導馬騎手としての思いを聞いた。

10Rまでの誘導を終えて、ホッと一息。笠松競馬場を出るウイニーと塚本さん
■誘導馬騎手として「何もかも一人でやっている」
「毎日ぎりぎりの状態です。何もかも一人でやっているので」。誘導馬騎手として37年ほどの歳月が流れた。「相手は生き物だから。毎日2頭を世話する仕事をしなきゃいけない」。ウイニーと最終レースまでの先導を終えてホッと一息。競馬場に隣接した厩舎の馬房に戻ってくると、おなかをすかせていたぺ君が首を揺らして夕食をおねだり。塚本さんは「ヨイ、ヨイ」などと声を掛けながら餌やりタイムとなった。
主食はマメ科のアルファルファヘイを固めた「ヘイキューブ」。麦とふすま(小麦の外皮)も餌として飼い葉おけに入れられ、一緒に食べる。朝晩の1日2食。レースがある日は朝6時頃から早めに食べ始める。2頭とも食欲旺盛だが、食べ過ぎると疝痛(せんつう)=腹痛=を起こしやすいので、量は少なめにしている。空腹だったぺ君らは飼い葉おけに頭を突っ込んだまま夢中で食べ続けていた。

厩舎の馬房内では、おなかをすかせたエクスペルテ(左)が待っていた
■70歳を迎えるのを機に、引退を決意
「ファンの人たちに支えていただき、手紙や写真などを頂いて励まされてきた。今年8月には70歳を迎え、体力的にも毎日一人でやるのが厳しくなって、いつ倒れるか分からないから」と引退へと気持ちが傾いた。
「装鞍所では馬場管理室の獣医さんらにお世話になっていて、誘導馬が病気になったりすると看病してもらっている。32歳頃から誘導馬の騎手をやり始めた。1頭目がリュウチャイナという馬で最初に預かった。2頭目がフジノシンゲキで、そしてハクリュウボーイでした」
この日は3、4歳で塚本さんの所へ来たウイニーが誘導を担当。やんちゃをするので、ペットの頃には脱走して畑を荒らし回ったとか。2頭目に世話をしたフジノシンゲキといえば、笠松競馬場に通い始めた頃、世代トップとして活躍し重賞を次々と勝った名馬だった。伝説の名手・坂本敏美騎手(名古屋)が主戦で、1981年のゴールドジュニアはアンミツさん(安藤光彰騎手)の手綱で制覇した。

全国最高齢の誘導馬として活躍したハクリュウボーイと、NARの感謝状を手にする塚本幸典さん=2010年2月
■パクじぃにNARから感謝状、業務馬では初めて
笠松誘導馬の大先輩・パクじぃは83年生まれ。競走馬として50戦して12勝、2着8回と活躍。90年から誘導馬となり、27歳時にはNARから業務馬では初めて、長年の笠松競馬場への貢献とファンとの交流をたたえる感謝状が贈られた。
「家族の一員」としてパクじぃを世話してきた塚本さんは「感謝状をもらえたのはファンのおかげ。パク自身、人との交流が生きがいになっているのかも」と、喜びと感謝の気持ちを伝えた。全国のファンの協賛で「パクじぃ 僕も頑張るよ」など1日に七つもの冠レースが行われた。笠松競馬をアピールする「生涯現役」のクオカードに登場し、ファンサービスにも貢献した。
13年6月、パクじぃは天国に旅立った。30歳まで現役で誘導馬を務め、天寿を全うした。
「馬は体格が大きいから亡くなる時はすごくショックです。息もハーハー言いながらで横たわって」。常に寄り添って身の回りの世話をした塚本さんは「優しい性格の馬だった。最期は、エクスペルテとウイニーにも見守られ、安らかな顔だった。今後はこの2頭がパクじぃの遺志を受け継いでいってほしい」と笠松競馬場での奮闘を願ってきた。

パドックまで各馬を誘導したエクスペルテは、返し馬が始まると装鞍所へダッシュ
■「ぺ君もウイニーも元気で、ファンがあいさつしてくださる」
最近の4日間開催ではぺ君が初日、3日目でウイニーが2日目、最終日に誘導馬を務めている。「ぺ君もウイニーも元気で、まだまだきちんと歩けるし、走ったりもできる。ファンとの触れ合いで、かつては競馬場のスタンド側に入ったこともある。当時からのファンはフェンス際まで来て、誘導馬に毎日あいさつしてくださる」。パドックから本馬場入りする出走馬を見送った後は、返し馬の邪魔にならないように装鞍所へとダッシュして戻る姿には「誘導馬も走るんだ」と驚きの声を上げるファンもいる。普段、厩舎内では2頭とも穏やかな表情でのんびりと暮らしている。
■次のステージ「どこかもらってもらえる所を」
2頭の次のステージについては「どこかもらってもらえる所を探している」という馬場管理室の人の声も聞いているそうだ。
塚本さん自身「昨年末、体力的にも3月いっぱいで誘導を辞めることを決めた。30年以上前から一人でやってきて、泊まりでどこかへ行くことがなかった。ただ新婚旅行だけは2泊3日で北海道へ行きました。競馬場でお世話になっている獣医さんたちと一緒にね」と。誘導馬たちの世話に明け暮れる毎日で、遠出はほとんどできなかったという。

競馬場での仕事から厩舎に戻ったウイニーと塚本さん
■「愛情をかけて育て上げ、食べさせていただいて楽しい人生」
「愛情をかけて育て上げ、馬って『道具でもあって、乗ってなんぼ』というところがあるから。調教して、こちらも食べさせていただいて楽しい人生を送ってきた。でも馬の仕事は辞めます。面倒を見るのはこの2頭が最後で、馬からは離れます」と決意をきっぱり。
「この子たちに思い切り愛情を注いできたから、それ以上はあきません。馬たちに対して本気でしたから、元気に送り出すだけです」
■「観光地でもいいし、人がいっぱい居る所へ」
「ぺ君は競馬場の所有馬ですが、どこかいい所で30歳ぐらいまで生きてほしいですね。この子たちに出会ったのは運命でした。この後、次のステージでまた『いい運』がつくやろうと思うし、面倒を見てくださる馬好きの人の所へ行ってほしいですね。『引き馬』で営業されている所で、観光地でもいいし人がいっぱい居る所へ。乗馬クラブでもいいですが」
ぺ君とウイニーがいる馬房内の雰囲気は、競走馬とは違ってゆったりとした時間が流れている感じがした。1食分、飼い葉おけがカラになるまでひたすら食べていた2頭。完食すると塚本さんは「お疲れさんでした」とウイニーの1日のお仕事をねぎらった。おやつ代わりの「乾草」もパクパクとたいらげ、栄養補給を済ませて元気いっぱいだった。
パクじぃのほか全国的には、園田競馬場のマコーリーやアイスバーグも30歳まで誘導記録があり、最年長誘導馬として活躍した。それを思うと、ぺ君とウイニーもまだまだやれそうではある。

本馬場入りしたアオラキ。外ラチ沿いでは誘導馬のウイニーが立ち、各馬を見送った
■ラチ沿いに立つ身近なアイドルホース
誘導馬騎手の仕事は笠松競馬の職員としてではなく、塚本さん個人に対して誘導馬の管理費や騎乗料が支払われている。「これまで休みなく一人でやってきましたが、乗り役も2、3人で交代でやらないと回っていかない仕事」。笠松の特殊な内馬場パドックについては「騎手が到着する時間は発走の10分前と遅い。根気良く見守っても、周回する馬が3、4頭しかいない時もあった」という。これは少頭数の上に、装鞍所騎乗の馬が多いためで、スタンドの常連客から「パドック、またガラガラやなあ」と嘆く声もよく聞こえてくる。
地方競馬が経営難の時代、岩手が2007年に、名古屋は11年に経費節減のため誘導馬を廃止にした。それに続くことになる笠松だが、馬券販売は好調でファンサービスの面では、ラチ沿いに立つ身近なアイドルホースとして愛され続け、場内の活性化にも大きく貢献してきた。

装鞍所からパドックまで400メートルほど離れており、馬道を誘導馬が先導する
■「誰かが先導して歩いていかないと、バラバラになってしまう」
ところで装鞍所から馬道を先導し、内馬場パドックを周回する際、「誘導馬がいなくなっても大丈夫なのか」という問題もある。塚本さんは「誰かが先導して歩いていかないと、バラバラになってしまう」とリスク面を指摘する。パドックからの馬場入りでは騎手が振り落とされそうになるシーンも目立つ。安全確保のためには競走馬の手綱を持つ厩務員さんの役割が大きくなりそうだ。
またパドックからの本馬場入り、返し馬ではすぐに第1コーナー方面へ駆けていく馬も半数ほどいて、スタンド前のホームストレッチは少ししか走らない。地元馬の多くは第4コーナーから、しっかりと返し馬を見せてくれる。「ファンにとっては不公平感もあるのでは。それでもファンは誘導馬には全く文句を言わない。『頑張れよー』と声援をくれます」と感謝の気持ちも大きい。
愛馬2頭の気性について聞くと、ペットとして既に名前が付いていたウイニーは「ポニーでも大きくなる。たくさん食べさせたから。やんちゃなところがあってポニーらしい。気に入らないことがあると帰りたがる。ぺ君はマイペースでやってくれるから助かる。細かいことでイライラせず、出走馬が暴れても動じなくてね」。
装鞍所に併設されている誘導馬の待機所では「冬場は脚元を冷やしたり洗ったりします。毛布とか羽織るものを掛ける。夏場は全身に水を浴びせたり、熱を反射する薄いカバーを掛けたりします。夏は体毛が短いが、冬は長くなる。ずっと外に居て、いつも横に座っていると馬も落ち着く」とのことだ。

塚本さんと1日の仕事を終えて、食欲旺盛のウイニー
■「生涯現役」の精神を受け継いで
誘導馬たちとの暮らしにささげてきた半生。長年、愛情を注いできた2頭との別れは寂しいが、人馬ともに高齢になってきて、新たなステージを迎える。塚本さんは4月に入ったら、これまでできなかった旅行を計画しているそうで「妻と一緒に鹿児島へ行こうかと」。
多趣味でもいらっしゃり、余生はのんびりと好きなことをやって過ごしていただきたい。ペ君とウイニーもよく頑張った。パクじぃのお弟子さんとして、これまで笠松競馬の安全確保を支えてきた功績は大きい。スタッフが手綱を引く「観光引き馬」などの新たなステージを見つけていただき、大先輩が実践した「生涯現役」の精神を受け継いで、家族連れらを楽しませてほしい。ただ高齢でもあり、ゆくゆくは引退馬がのんびりと暮らせる「養老牧場」などで余生を過ごせるといいが。
かつてオグリキャップの長男・オグリワンの引退後はファン有志で結成された「オグリワンの会」がサポート。長野県佐久市のスエトシ牧場(引退馬預託施設)で30歳まで余生を過ごした。預託料は月7万円で(オーナーは個人やグループ)、60頭ほどが飼育されている。
■ジョッキー「誘導馬がいると助かります」
誘導馬の先導を騎乗馬と共に受けるジョッキーからは「誘導馬がいると助かります。パドックから出て返し馬でダクを踏む時とか、馬がいるとそっちの方へ行くから。連れていってくれるみたいな」。誘導馬がいないと、先頭を歩く「ゼッケン1番」の馬が先に馬場入りすることになるが「誘導馬はおとなしいし、いた方がいいんじゃないですか」と3月末のレースで最後になることを惜しんでいた。

笠松競馬場に里帰りし、暑さのせいか足取りが重いオグリキャップ(左)と再会したハクリュウボーイ=2005年4月
■「すごくかわいく寂しくなる」「人気者なんでまた姿を見たい」
いつもぺ君とウイニーを撮影しているファンたちにも聞いてみた。
「やっぱり悲しいですよね。笠松競馬場の一番のシンボルみたいな存在ですから。愛きょうを振りまいて、いつ来ても変わらずにすごくかわいいです。引退して誘導馬がいなくなると寂しくなります」
「長い間お疲れさまでした。2頭とも20歳とかで高齢だから、辞めるのは当然でしょうけど、鞍上のツカさんも『年になってきたので』とのことで、今回の区切りは致し方ないのかなと」
「あと1カ月あるけど、ファンがいっぱい写真を撮っている人気者なんで。秋まつりとかのイベントの時にでも、ちょっと姿を見せてもらえるとうれしい。ネット上などで引退後の姿も見ることができたら、みんなホッとする。これで終わりでなく続きがあるといいですね」
■残り8日間、競馬場に足を運んで声援を
「ありがとう。おツカれさま」。オグリキャップが笠松にいた頃から誘導馬たちの世話をしてきた塚本さん。キャップと一緒に走ったハクリュウボーイは笠松で始まった「芦毛伝説」の名脇役でもあり、2005年にはキャップの里帰りで再会した。約22年間、笠松で誘導馬を務め、スタンド前やウイナーズサークルでのファンとの触れ合い、入場門での出迎えなどでも人気を集めた。猛暑や悪天候でも笠松競馬場の競走馬を先導し頑張る姿はエクスペルテとウイニーに受け継がれ、ファンの心を和ませてきた。
2頭の馬場入りは、3月の2開催8日間(4~7、19~21、24日)となった。19日以降の開催日には最終レース後に、お別れの場として触れ合いの機会も設けられる。「名馬、名手の里」に足を運んで誘導馬にも声援を送っていただきたい。
☆ファンの声を募集
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(筆者・ハヤヒデ)電子メール ogurinosato38hayahide@gmail.com までお願いします。
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