家中争乱で高綱が退避 直頼がいったん抗争収拾 戦国飛騨をゆく(19) 当主の相次ぐ死で衰退の一途をたどり、名跡も奪われる姉小路古川家。因縁の三木氏との争いの最初の史料は1530(享禄3)年6月15日の飛騨一宮水無神社棟札(飛州志)。「当国古川殿、内衆の雑説によって... 2025年3月28日 16:00