寿楽寺所蔵大般若経奥書(飛騨下呂史料Ⅱ)の記述で1521(大永元)年に三木直頼が高山盆地に進出し、三仏寺城に在城したことは分かるが、詳細は分かっていない。
同書巻66の「三木殿者(は)三仏寺在城候也」の記述の前は「冬雪一円ふらず、天気の体者(は)、十月上旬の如(ごと)し、暖か成事(なること)、春の末の如し、彼の国、怠(忽(そう))劇により、寺家より竪座より下悉(ことごと)く下向し、庄内警固のために新宮社に閉籠(へいろう)せしめ畢(おわ)んぬ」とある。巻600にも「三木家中取合によって、庄内警固のため、竪座以下悉く庄下し、新宮社に閉籠せしめ畢んぬ」とある。...