良頼が名跡を奪った姉小路古川家の居城だった古川城本丸跡=飛騨市古川町高野

 三木良頼の子光頼(後の自綱)が飛騨介(ひだのすけ)に補任された翌1560(永禄3)年に良頼は従四位下飛騨守に叙任され、併せて名字を古河(川)にすることが幕府から公認された。

 「足利義輝御内書写」(古簡雑纂(ざっさん)・飛騨下呂史料Ⅱ)の同年2月18日の宛名は古河飛騨守(ひだのかみ)すなわち良頼で、子の光頼宛ては、左衛門佐(さえもんのすけ)への補任が記されている。

 子の光頼が先に官職を得た件についてお茶の水女大の大薮海准教授は「室町幕府と地域権力」で「当初、良頼が光頼を飛騨守にして姉小路氏の名跡を継承させようとしていたことが考えられる。しかし申請の結果、...