三木良頼は位階とともに有名無実化していた飛騨国司の称号も希求した。
国司はもともと、律令時代に地方に派遣された行政官だが、建武の新政で改めて国ごとに守護と併置された。飛騨は伊勢、土佐とともに戦国3国司に数えられ、家綱が姉小路家で初めて史料上に実名が判明する飛騨国司とされる。
お茶の水女大の大薮海准教授は「室町幕府と地域権力」で、飛騨国司は「南北朝合一後は、姉小路氏の通称にしか過ぎず、朝廷の官職に何ら依拠するものでなかった」とし、良頼は「飛騨守(ひだのかみ)や飛騨介(ひだのすけ)といった官職に補任されることが飛騨国司になることの根拠と考え、その補任を目指した」とする。...