今春、39年間にわたる高校野球指導者人生を終えた福島秀一監督(61)。瑞浪に始まり、母校の岐阜高校、大垣西、池田と、赴任時に秋春の県大会にも出場できなかったチーム(2020年から秋は全県参加)を強化。県上位に導き、選抜出場は果たせなかったが、大垣西で21世紀枠の東海地区候補校になった。弱小チームをいかにして岐阜県の強豪にしたのか、第1回は野球人としての歩み、野球の原点について聞いた。(岐阜新聞デジタル独自記事です)

赴任のたびに監督として弱小校を県内上位校にした福島秀一さん=池田高
 福島秀一(ふくしま・ひでかず) 1963年、羽島郡笠松町生まれ。父親の影響で幼少期から野球に取り組む。岐阜高校では1年秋から主軸。3年時は4番、センター。中京大でも1年秋からレギュラーで、2年から主軸。4年の春秋、愛知六大学野球ベストナイン。4年秋は本塁打、打点の2冠で、あとわずかで3冠王を逃した。86年に岐阜県で教員になり、瑞浪監督。94年に母校岐阜高校監督になり、名門を再建。2004年からの大垣西監督を経て、2015年から池田で部長、監督。今春退職し、現在はスポーツ用品卸売業のますかスポーツ(羽島市)に勤務。岐阜ボーイズのコーチも務める。

 ―野球との出会いは。

 福島 大学まで野球をしていた父親の影響で、歩き始めた1歳ごろから、子供用の軽いバットで柔らかいボールを打っていたらしい。小学生になって、近くの広場やお寺で野球らしきことをやっていた。5年生からスポーツ少年団で野球を始め、ショートやピッチャーだった。中学でも最初はショートだったが、2年の春にセンターの先輩がけがをして、センター、1番で大会に出場した。

 高校は当時、岐阜地区は5群制度だったので、学校を選んで受験できなかった。どちらに入学しても野球部のある岐阜高校と長良高校の1群を受験し、岐阜高校に合格した。

 ―岐阜高校では。

 福島 1年の秋から5番ライトでレギュラーとして試合に出ていた。秋の県大会は初戦の2回戦で翌1980年の夏に甲子園に初出場する美濃加茂と延長十七回の激戦の末、9ー7で勝った。当時秋の県大会は、4校による決勝リーグが行われていたが、ブロック代表決定戦で県岐阜商に...