午前6時。サイレンの音が岐阜市中央卸売市場(同市茜部新所)に鳴り響き、淡水の市が始まる。ウナギ、ドジョウに続き、長良川産の天然鮎が競り台に流されると、取り囲む仲買人らが身を乗り出した。
「岐阜新聞デジタル クーポン」始めました!対象店舗はこちら「最初の競りは26歳の時。もう60年や」。85歳の辻克巳さん=岐阜市矢島町=は、売買参加者の札の付いた帽子をかぶり、木箱の「せいろ」が積まれた脇のいつもの位置から、鮎を見定める。
「はい、こいつはどう!」。威勢のいい競り声に応えるように、左手の符丁で目当ての魚の買値を示す。「ツジマル!」。瞬時に取引が成立し、氷を打ったせいろが目の前に滑り込んできた。
今季は雨による増水が続いた。この日も「半端水」の状態で、高値がつく「小漁(こりょう)」と呼ばれる鵜飼の漁場近くからの入荷が少なかったが、郡上産を含め5枚(約5キロ)を競り落とした。
「いい鮎は身に力があるね。ぷっくりしとる」。市場で見るのは魚体、そして誰が捕ったかだという。漁師が分かれば、どこの漁場で、どんなコケを食べ、扱いが丁寧かどうかも分かる。「おんなじ長良川でも、ちょっと違いますからね」
家族で日本料理店「割烹うおそう」を営む。先代の惣一(そういち)さんが戦前に創業し、最初は鮮魚店。小学4~5年生から手伝ったという。「自転車の後ろに魚を積んで、よう運ばされた」。長住町にあった旧市場には、電車で運ばれた魚が並んだ。
商業高校を卒業後、名古屋市のすし店で修業。地元の料理店に勤めた時は、伊奈波神社の披露宴の料理作りに追われた。鵜飼の観覧船に乗り込み、その場で鮎を焼いて出したこともある。1972年、自店近くの住民が郊外に移り、スーパー進出もあって現在の業態に変えた。
「当時は鮎の遡上がものすごい多かったん」。市場はせいろが文字通り山積み。毎日通っては、調理場で触り、集う鮎好きの話を通して長良川を見つめてきた。水量が減り細る川、小さくなった鮎。スイカに例えられる匂いも昔ほど強くないように思うという。95年に運用を始めた長良川河口堰(ぜき)や、上流の森の変化の影響を感じている。
扱う鮎のメニューは約30種にのぼる。先代仕込みの赤煮、定番の塩焼きだけでなく、一夜干し、酢炊きと新しい品も開拓してきた。「季節で味が変わり、日本人の繊細な舌に応えられる」。時代が変わっても、味には自信を持っている。
※この企画は今回で終了します