谷間からのぞく伊吹山は、深い雪を抱いて純白に輝き、日本百名山の貫禄を見せていた。頂から東3.5キロに位置する古屋区(揖斐郡揖斐川町春日川合)。定住者わずか12人の限界集落が、一年で最もにぎわう「山の講(こ)」の日を迎えた。
「岐阜新聞デジタル クーポン」始めました!対象店舗はこちら1月9日の朝、雪化粧した海戸神社脇の集会所に区長が発泡スチロール箱を運び込む。中には30匹のイワシ。自宅の神棚にも供えてきたという。「イワシがねえと、山の講やねえ」
山の安全を願う祭り。男衆が総出でわらをない、半日かけて全長12メートルの竜の形の大しめ縄を作り上げる。角を付け、目を描き、わらで包んだイワシを胴体につり下げた。「魔よけかな。軒下にイワシの頭とヒイラギをつるすとこもあるでな」と氏子総代の小寺明さん(76)。昔は子どもたちが奪い合い、縁起物として持ち帰ったという。
わらで編んだ帽子をかぶると、男根を模したミズナラの棒を手にして、竜を担ぐ男衆を先導した。「キチンボー」の掛け声を集落に響かせ、雪を踏みしめ練り歩いていく。
江戸時代に下流の川合や小宮神からの出作り集落から成立した古屋区は、炭焼きと茶栽培が主な産業だった。猟師が捕ってきたクマやイノシシ、シカ、ウサギ、ヤマドリはごちそう。隣の笹又区とともに薬草の主産地でもあった。
山に閉ざされた地で育った小寺さんは、分校の遠足を鮮明に記憶する。山道を歩きたどり着いたのは、かつて米や魚が担いで運ばれた岩手峠(不破郡垂井町)だった。「濃尾平野が開けて見えてね。『こんな広いとこがあるんかしらん』って」
のどかさの一方、冬は厳しい。「ここでは伊吹おろしは逆から吹く」。強烈な季節風は裏山で吹き返し、雨戸を揺らす。最深積雪11メートル82センチの世界記録の山の麓だけに、一昨年の大雪は一晩で胸の高さに達し、数戸が軒を落とした。43世帯195人(1981年4月現在)いた五六豪雪当時は総出で雪を下ろしたが、もはや担い手がいない。
春の祭りや盆踊りなどの諸行事が立ちゆかなくなり、最後に絆をつなぐのが、この「山の講」。神社脇の斜面に大しめ縄を張って行事を終えると、女性たちが焼いたイワシが並んでいた。
「おーい、よばれよか」。年配の人ばかり、十数人がたき火を囲み、イワシを頬張った。車の人が多く酒は飲まなくなったが、皆が集えば会話も弾む。雪景色の中、温かな時間が過ぎていった。