飛騨を平定した三木直頼が戦勝報告し、以後三木氏に付き従う小島家の居城小島城跡=飛騨市古川町沼町

 1531(享禄4)年3月20日、古川城を奪い取った三木直頼は、1カ月後の4月25日に両小島に礼(戦勝報告)に訪れている。

 飛騨一宮水無神社棟札(飛州志)に「両小島へ礼に御越し候(そうろう)」とあるこの両小島は、古川家が相次ぐ当主の死で力を失っていく過程で、姉小路3家の長たる立場に立っていく小島時秀と時親の親子、向小島の向宗熙(むねひろ)と考えられている。

 岡村利平は「飛騨編年史要」で「両小島へ礼」について「三木直頼、直国(姓欠)吉城郡に赴(おもむ)き、小島時親、小鷹利宗熙を訪ふ、按(あん)ずるに先度戦争の際、両家は三木を援(たす)けしものならむ」としている。...