上杉謙信と同盟関係にあり、三木良頼に協力を依頼した朝倉氏の一乗谷遺跡。下町全体が良好に遺存している=福井市

 武田信玄、上杉謙信の両雄激突と三木氏との最初の関わりと思われる史料に第2次川中島合戦が行われた1555(天文24)年8月20日、三木良頼宛てに送られた禅昌寺明叔録所収の「朝倉宗滴書状」(飛騨下呂史料Ⅱ)がある。

 「長尾方信州出陣に付而、陣僧(じんそう)を差し遣わし候(そうろう)條、越中堺目迄(まで)路次番之儀、仰(おお)せつけられ、祝着となすべく候…」とある。

 宗滴は謙信と同盟関係にあった越前(福井県)朝倉家の重臣で、この時、謙信と敵対していた一向一揆の加賀(石川県)に侵入したとされる。加賀から上杉陣へ派遣する陣僧(使者などを務めた従軍僧)が飛騨を経由して、越中(富山県)境に入るまで通行の便を図るよう良頼に依頼したという内容だ。...