太平洋戦争末期、特攻隊員として27歳で戦死した藤井真治大尉の数々の遺品が、海軍航空隊のあった大分県宇佐市に寄贈された。遺書は6通あり、覚悟を記したものや、年の離れた弟に宛てひらがなでつづった優しい文面も。亡くなって6日で80年。市教育委員会の担当者は「特攻を前にした複雑な心境が表れている。戦争を考えるきっかけにしてほしい」と話す。
1917年、宮崎県都城市に8人きょうだいの長男として生まれた。京都帝大卒業後、志願して海軍へ入隊。44年から宇佐で教官として指導に当たった。戦況が悪化した45年に特攻隊「八幡護皇隊」が編成された。最初に特攻指名され、鹿児島県の串良基地から沖縄へ出撃し戦死した。
遺書は出撃4日前から当日までに書かれた。前日には「ムダ死はしません。必ず空母を沈めます」と記す一方で「笑ひ乍ら出撃します。しっかりしっかり頑張れ」と自身を鼓舞するような表現も見られる。
寄贈された105点のうち、遺書6通や辞世の句、写真など約75点が宇佐市民図書館で5月11日まで展示されている。