ぎふ清流国体が行われた2012年に選手権へ出場、地元国体でも3位となった県岐阜商。故障になき、あまりプレーできなかったものの、当時の藤田明宏監督が取り組んでいた走塁レベルをさらに高めた主将の大山紘平さん(30)。指導者となって母校で講師を務め、今春から教員として東濃に赴任した。鍛治舎巧前県岐阜商監督が「将来の後継者」と期待を寄せる大山さんに現役時代の思い出や高校野球への思いを聞いた。
2024年は、高校野球の聖地・甲子園球場が開場して100周年を迎えます。岐阜新聞デジタルで毎週木曜日に各年の感動を当時の紙面と主力選手インタビューで振り返る「甲子園100年ぎふ」を連載しています。

大山紘平(おおやま・こうへい) 1994年、加茂郡川辺町生まれ、外野手。県岐阜商卒業後、国士舘大準硬式野球部。可児市の蘇南中を皮切りに高校では美濃加茂、加茂農林、母校県岐阜商で体育講師。昨年、教員採用試験に合格。今春、東濃に赴任し、同高監督。
―名門県岐阜商史上2度目の岐阜大会コールド負けの後、発足した新チームで主将になった。
大山 中濃ボーイズ2年でサードとして全国大会を経験したが、主に投手だった3年は全国大会にいけなかった。ただ、選抜チームに選ばれ、高校3年の年が地元国体。みんなで県岐阜商へいこうと集まった。
ただ、選抜チームでも中心選手ではなかったし、高校2年の5月から10カ月間、右肩関節唇損傷で、全くボールが握れず、バットも振れなかったので、自分が主将になるとは思ってもいなかった。藤田先生に一人、呼び出されて「お前でいく」と言われたが、チームメートも「えっ」と言う感じだった。...