8月15日終戦記念日。毎年、甲子園では正午にサイレンが鳴り響き、戦争に散った球児慰霊のため黙とうをささげる。岐阜商(現県岐阜商)ナインは1936年の岐阜県唯一の選手権優勝メンバー9人のうち5人が戦火に散った。中でも松井栄造は3度胴上げ投手となり、岐商黄金時代を支えた。1935年選抜、2度目の全国制覇は松井栄造が5度の甲子園出場で唯一、エースナンバーを背負い、全試合完投で成し遂げた。

1935年選抜で2度目の優勝を遂げた岐阜商ナイン。後列右が松井栄造。同3人目が筧金芳主将=甲子園

■審判糾弾事件勃発するほどの逸材松井の快投

 33年選抜で初の全国制覇を果たした岐阜商だったが同年夏は、前人未踏の3連覇を果たす吉田正男の中京商(現中京大中京、愛知)に東海2次予選決勝で0―8と屈した。

 3年連続出場の34年選抜は開幕試合でエース広江嘉吉が完投し、ミスタータイガース藤村富美男の呉港中(現呉港、広島)を4―2で下したが、2回戦の小倉工(福岡)戦は三回に広江が一挙5失点。松井が無失点継投したが追い上げ実らず4―5で敗退した。

 同年夏東海2次予選準決勝の東邦商(現東邦、愛知)で事件は起きる。

 松井の伝家の宝刀ドロップがストライクを取ってもらえず20四球。8―5で勝利したが、ナインは心身ともに疲れ果て、...