創部8年目の1980年夏。それまで夏の岐阜大会で1勝しかしていなかった美濃加茂が、強豪を次々に打ち破って、初の甲子園出場を果たした。初戦の2回戦で岩国商(山口)に2―1で競り勝ち初勝利し、3回戦は前年夏の覇者・箕島(和歌山)に3―5で惜敗したが、ベスト16と躍進した。秘話をエースの池戸潤さん(61)=愛知県みよし市在住=に聞いた。
2024年は、高校野球の聖地・甲子園球場が開場して100周年を迎えます。岐阜新聞デジタルで毎週木曜日に各年の感動を当時の紙面と主力選手インタビューで振り返る「甲子園100年ぎふ」を連載しています。

池戸潤(いけど・じゅん) 1963年、本巣郡北方町生まれ。投手。美濃加茂高卒業後、平山和男監督の母校の日体大に進み、4年時の84年に全日本大学選手権に出場。社会人野球のスリーボンド(東京都)で85年に都市対抗も出場した。現在、同社の建設部門会社のスリーボンドユニコム営業部中日本支店勤務。
―どんなチームでしたか。
池戸 学校が野球に力を入れるということで選手を集め、北方中の自分も声をかけてもらい、入学した。なかなか県大会で勝てず、最上級生となった2年秋も3年春も2回戦敗退だった。
ただ、3年春に27歳の平山和男監督が就任し、大きく変わった。岐阜工で監督(76年に岐阜大会準優勝)、美濃加茂の後、岐阜南(現岐阜聖徳)でも監督した。ものすごく熱い監督で、練習はとんでもなく厳しかった。...