今回でこのコーナーも最終回。最後は「岐阜」について調べてみました。
「岐阜新聞デジタル クーポン」始めました!対象店舗はこちら由来でよく知られているのは、織田信長命名説です。美濃を征服し居城を金華山に移した信長が「岐山、岐陽、岐阜」から選ぶように進言され、「岐阜」にしたというもの。「太平の世を築いた中国の周時代の都・岐山の『岐』と、学問の祖・孔子が生まれた曲阜(きょくふ)の『阜』」という解釈から、「太平と学問の地であってほしい」との願いがこもっているというストーリーは、天下人を目指した信長らしさにあふれ、歴史の奥深さを感じます。
しかし、既に信長が入城する前から「岐阜」は使われていました。その地名を全国に普及させた功労者であることは間違いなさそうですが、他の説も考える必要がありそうです。
そもそも「岐阜」は、水利や地勢に基づいた地名が県全域で数多く見られる地域です。それを踏まえると、雨水を呼ぶ峻険(しゅんけん)な山を意味する「岐」と、盛り上がった高い所との意がある「阜」から、「下流域を潤す豊かな水をたたえた山地」とする説が山紫水明の岐阜にぴったりであるような気がします。