手前に露出して点在する礎石はじめ居館跡が発見された小鷹利城本丸跡。戦国初期の山城の概念を変えた=飛騨市河合町稲越
記者独断の5段階評価
難攻不落度
「北方に備えた十数本の畝状空堀群(うねじょうからぼりぐん)はじめ堀切(ほりきり)、虎口(こぐち)へ至る道が直角、本丸から攻め手が丸見えなど難攻」
遺構の残存度
「建造物はないが、礎石跡や畝状空堀群、堀切などが残り、山城の醍醐味(だいごみ)が満喫できる」
見晴らし
「木が至るところに茂り、眺望を妨げている」
写真映え
「最大の特徴の畝状空堀群は写真では判別しづらい」
散策の気楽さ
「地元住民が飛騨古川ふれあい広場からの登山道を整備し、所要約40分で本丸に到着」
山城は戦時施設、住居化したのは戦国末期という戦国史の常識を覆す大発見の舞台となった飛騨市河合町稲越の小鷹利(こたかり)城。戦国初期(16世紀初頭)と推定される山城の主郭(しゅかく)部分に、屋敷跡の礎石(柱を支える石)が...