岐阜メモリアルセンター付近の河原から望む長良川と金華山。道三の死は斎藤家落日の起点となり、美濃は織田信長の天下布武の拠点へと転換していく=岐阜市早田
住宅街の一角にある「道三塚」。墓碑には近年、市民の寄付によって覆屋(おおいや)が設置された=同市長良福光
岐阜城天守閣からの眺め。眼下の岐阜メモリアルセンター付近で「長良川の戦い」が繰り広げられた
斎藤道三公塚と書かれた墓碑が立つ「道三塚」
長良川の戦いの激戦地となったとみられる「中の渡し」付近。現在は岐阜メモリアルセンターになっている

 「国盗(と)り」で知られる戦国武将斎藤道三。その遺体を弔ったと伝わる「道三塚」が、岐阜市長良福光の住宅街にある。「マムシ」と恐れられたが、その最期は戦での敗死。それも息子の義龍に討ち取られた。弘治2(1556)年4月、美濃を二分した...