武田軍侵攻によって三木氏が自ら火を放って、明け渡したとされる三仏寺城の出丸跡=高山市三福寺町

 1564(永禄7)年、飛騨に激震が走る。

 戦国最強とうたわれた武田軍の侵攻を受ける。武田軍侵攻は59(同2)年にもあったと多くの軍記物にあるが、同時代史料の裏付けはない。

 出所は「甲陽軍鑑」の永禄2年「六月すへに飯富三郎兵衛、甘利左衛門尉、馬場民部助三人の侍大将に仰せつけられ、飛騨の国へお手づかひなされ(後略)」とみられる。...