信玄、謙信の間を渡り歩いた江馬氏。高原諏訪城跡主郭から見下ろす居館跡(右手前)など本拠地=飛騨市神岡町殿

 武田家に関する古文書を集めた「戦国遺文・武田氏編」(東京堂出版)第1巻所収の1559(永禄2)年10月12日付で信玄が江馬氏の一族・麻生野(あそや)右衛門大夫に宛てた書状に「別して入魂(じっこん)之間、有(少)地に候(そうろう)といえども、(荒)木口百貫之所、これを進候、なお忠節一途之所渡置くべき、其国之儀馳走祝着となすべき候」とある。

 「別して入魂(じっ懇)」の礼として「荒木口百貫」の地が進上されている。学芸員で安国寺住職の堀祥岳さん=高山市国府町西門前=は「別して入魂の具体的な内容は明らかではないが、信玄の江馬氏勢力に対する調略がすでに永禄2年の段階で進められていたことを示している」と指摘する。...