「野口さんは短歌に出会って、過去の摂食障害も治ったのではないですか?」
数年前の、あるインタビュー。その女性インタビュアーの笑顔の問いに、ぎり、と茨(いばら)が食い込むよう胸が痛んだ。それはそうだ。短歌に出会って私の人生は明らかにプラスに変わった。でもそんなこと、出会って小一時間のインタビュアーなんかに絶対言われたくない。
自分からは平気でいうけれど、でも人には決して指摘されたくないことは誰でもあるだろう。家庭のこと、人生観のこと、容姿のこと。安易に指摘されたくないから、自分からは平気でネタにしたりする。でも本当は、そんな話題こそが自分の聖域なのかもしれない。

過日、執筆修行中の習作小説の描写で、体験してきた摂食障害をストーリーとして書いた。拒食の時、どんな精神状態になるか、また反動の過食の時、どんな状態でどんなものを食べたくなるか。誰でもが体験しない、でも私は長い期間、心身を削って体験したことだから、筆は踊るほどするすると動いた。一種のランナーズハイのような状態で書き上げて、親友に電話し、「なんかここまでリアリスティックに書けて、逆に摂食障害やっておいて良かったと思うわ」というと、彼女は「いや、友人としては決してそうとは言えないけれどね」と控えめに、しかし強い調子で言った。
私の感慨は強がりでもなんでもなく、物書きとしての業から出た本心だ。でもそれとは別に、私生活では本当にいい親友を持ったと思った。もし彼女が冗談でも「そっか、摂食障害やっておいて良かったね」と言ったら、私はとたんに崩れ落ちていただろう。
私は強い、まだ大丈夫だって思いたい。そのために私たちは失敗談や生傷のままの過去を笑って話したりもする。社会生活を順調にユーモラスに過ごすための、味付け程度に生傷を舐(な)め合うコミュニケーション。そういう事象が横行する中で、ふと気づけば、少しずつ私たちは私たちの聖域を相手に明け渡し、抉(えぐ)られていく。そしてそんなことを気にしてはいられないほど、私たちの生活はせわしない。
でも、一度立ち止まってみるのもいいかもしれない。瘡蓋(かさぶた)が残っている傷を、忘れられない失敗を、語ったりネタにするでもなく、心地いい風が通り抜けるまで、自分を待ってあげること。ああ、もうあれはいいんだ。そう思ったとき、どんな風景が待っているか、想像してみてもいいような気がする。
岐阜市出身の歌人野口あや子さんによる、エッセー「身にあまるものたちへ」の連載。短歌の領域にとどまらず、音楽と融合した朗読ライブ、身体表現を試みた写真歌集の出版など多角的な活動に取り組む野口さんが、独自の感性で身辺をとらえて言葉を紡ぐ。写真家三品鐘さんの写真で、その作品世界を広げる。
のぐち・あやこ 1987年、岐阜市生まれ。「幻桃」「未来」短歌会会員。2006年、「カシスドロップ」で第49回短歌研究新人賞。08年、岐阜市芸術文化奨励賞。10年、第1歌集「くびすじの欠片」で第54回現代歌人協会賞。作歌のほか、音楽などの他ジャンルと朗読活動もする。名古屋市在住。