飛鳥時代の大豪族蘇我蝦夷、入鹿親子の邸宅があったとされる奈良県明日香村の甘樫丘遺跡群で、親子が活躍していた7世紀前半から半ばの炉跡とみられる遺構が見つかった。村教育委員会と関西大が27日、発表した。同遺跡群は蘇我氏滅亡後の飛鳥時代後半に大規模造成されたと考えられていたが、村教委は「飛鳥時代全体を通して活発に甘樫丘が利用されていたことが分かった」としている。
炉のような跡からは、7世紀前半ごろの土器が複数出土。生活に伴う小規模な鍛冶場とみられる。同遺跡群で、蘇我親子の活躍時期の遺構が見つかるのは初めて。
また井戸とみられる7世紀後半の遺構からは木簡が出土し、文字の解析を進める。
また7世紀後半と末の建物跡を1棟ずつ確認。末の建物跡は後半の建物と比べ方位が大きく変化していたが、甘樫丘は藤原京の南限に当たるため、藤原京の造営に影響されたと考えられる。
日本書紀によると、蘇我親子は644年に甘樫丘に家を並べて建設。親子は大化の改新のきっかけとなった乙巳の変(645年)で中大兄皇子らに滅ぼされた。