山は一面燃え、辺りは電灯で照らされたようだった。1945年3月23日、沖縄の各島を猛爆撃が襲った。26日に米軍が上陸した慶良間諸島の座間味島で、高江洲敏子さん(93)はガマ(自然壕)に隠れ生き延びた。スパイ視された住民は虐殺され、米兵は日本兵の遺体を穴に投げ込んだ。「戦争は人の心を鬼にする」。涙ぐみながら、当時を振り返った。
空襲が始まったのは23日の日中。防空壕から夕方になって出てみると、向かいに連なる山々が炎に包まれていた。振り向くと、壕がある山も「みんな火が付いていた」。
両親や生後3カ月の妹らと一緒に、島北部のガマに移った。24日には100人以上が身を寄せた。妹が泣きやまず「米軍に聞こえるとまずいから殺せ」との声が聞こえる。母は妹を抱えガマを出て、岩陰で過ごした。
26日に米軍が上陸すると、別の集落では、住民たちが自らの家族に手をかける集団自決が起きた。高江洲さんは「米軍に捕まれば女は強姦され殺されると教え込まれていた。上陸するのを見ていたら誰でも自決を考えただろう」と今でも思う。