只野哲也さん(右)にJR尼崎脱線事故現場周辺を案内する小椋聡さん=2024年9月、兵庫県尼崎市

 東日本大震災の津波で児童と教職員計84人が犠牲になった宮城県石巻市立大川小の卒業生只野哲也さん(25)は、2005年に乗客ら107人が亡くなったJR尼崎脱線事故の被害男性と昨年から交流を始めた。「奇跡だ」「良かったね」。津波にのまれ助かったことで、周囲からかけられた言葉は同じ。苦悩した日々を共有できる人と出会い、ようやく時計の針が動き出した。

 「正しい避難行動をしたわけではないのに『奇跡の少年』と言われ違和感があった」。只野さんは昨年7月、大川小の被災校舎を案内しながら、脱線事故で重傷を負ったデザイナー小椋聡さん(55)=兵庫県多可町=に打ち明けた。小椋さんは「自分も『生き残って良かったね』と言われるのがつらかった」と吐露した。初めて会ったのに、「本音で話せた」と只野さん。9月には同県尼崎市の脱線事故現場を訪れ交流を深めた。

 大川小では11年3月11日、教員の指示で校庭にとどまった児童たちを津波が襲った。5年だった只野さんは気を失い、気がつくと山の斜面に打ち上げられていた。