飛騨戦国史は、斎藤道三、織田信長、明智光秀らの活躍に代表される美濃に比べ、認知度は高くない。それだけに、どんな人物、出来事、合戦、城、伝承に彩られているのか興味が尽きない。研究者への取材や現地訪問などでその魅力に迫る旅「戦国飛騨をゆく」。第1回は飛騨戦国史概論を紹介する。
「岐阜新聞デジタル クーポン」始めました!対象店舗はこちら「史料が少ないのが飛騨の戦国時代。各種研究の元になっている『飛州志』『飛騨遺乗合符(いじょうがっぷ)』なども約100年後に書かれた書物」と高山市上一之町、飛騨高山まちの博物館館長の牛丸岳彦さんが教えてくれた。
それらを元にした「飛騨金森史」(1986年、金森公顕彰会発行)によると、室町時代の飛騨国司は姉小路氏だが、室町初期に起きた内乱の応永飛騨の乱(1411年)後、姉小路氏が古川盆地に、北に江馬氏、南飛騨に三木氏が勢力を誇り、競い合う「三氏鼎立(ていりつ)」の時代があったと記されている。
戦国の幕開けとされる応仁の乱で力関係に変化が生じ、その後、代々勢力を伸ばした三木氏が最初に飛騨を統一。第6代自綱(よりつな)が姉小路を継承し、1582年に江馬氏を滅ぼしたとされる。ところが85年に、豊臣秀吉の命を受けた金森長近に滅ぼされ、金森氏が治める。長近は現在の高山の町の礎を造り、初代高山藩主となった。
「文書が少ない代わりに山城や寺など遺構が多いのが魅力。武家だけでなく農民ら多くの人が生き、支えてきたのが飛騨戦国史」と牛丸さん。名も無き飛騨人らにも思いをはせながら時空を超えた旅は始まった。(森嶋哲也)
2020年10月3日から2023年6月4日まで岐阜新聞飛騨版に連載した企画記事です。平日午後に1本ずつ追加していきます。全72回です。