息子の明浩は、高校3年生の4月に奨励会三段リーグの開幕を迎えるはずでした。しかし、コロナ禍の出現で状況が一変します。感染を防ぐため高校は休校になり、研究会を行っていた棋士室は閉鎖され、三段リーグの開幕も延期されました。
高校生活に加えて、関西将棋会館での記録係、棋士室や東海地区での研究会と、充実した毎日を送っていた息子は、一転して家にずっといる状態になりました。家では本や漫画を読んだり、ネットをしたりしていることが多く、ダラダラと過ごしているうちに数カ月が過ぎました。
息子はもともと、研究会を中心に、実戦をこなしながら仲間と勉強するタイプです。一人でコツコツ研究するタイプではありません。そのため、研究会が突然なくなり、勉強の機会を失った息子は、自分でもどうすれば良いか分からなかったのだと思います。
この時期は、コロナの怖さが毎日報道されていました。妻は在宅勤務になり、家族全員、コロナに感染しないように気を付けることが第一でした。私も、家族の食事を三食作り、最小限の買い物に行く程度しか外出しないようにしていました。
6月に入ると、高校は、午前と午後に分かれての半日登校が始まります。そして、18歳の誕生日である6月20日に、三段リーグの遅れた開幕を迎えました。その日は1勝1敗でしたが、その後、4連敗し、1勝5敗で三段リーグの最下位に沈んでしまいます。きっと、コロナが始まってからの勉強不足がたたったのだと思います。
このときは、降級点を取るのではと心配しました。しかし、8月に入ると棋士室が使えるようになり、研究会が再開されたこともあって、息子はなんとか成績を持ち直し、8勝10敗で初めての三段リーグを終えました。
初めての三段リーグでは、現在、棋士編入試験を受験中の西山朋佳現女流三冠とも対戦し、敗れています。息子は2期目の三段リーグでも、西山さんと対戦しました。西山さんは、「豪腕」と呼ばれる将棋の棋風とは対照的に、性格は穏やかで、大阪弁のとても優しいお姉さんだったそうです。
今では、コロナ対策としての行動制限もなくなりましたが、当時は、コロナにもしかかったらどうしようと、ビクビクしていました。今もコロナが終わったわけではありませんが、そこまで気にすることなく日常生活を過ごせるようになり、コロナ前のように、私の教室の生徒を将棋大会にも引率できるようになりました。それは、とてもありがたいことだなと感じています。
(「文聞分」主宰・高田浩史)
=随時掲載、題字は高田明浩五段=