指導対局会で対局する高田明浩さん(右)と、対局を見守る柴山芳之さん=2021年5月、岐阜市前一色、市東青少年会館

 プロ入りを決めた3日後の2021年3月9日、息子の明浩は、柴山芳之先生の将棋教室で子どもたちに指導対局をしました。小学生の頃に通っていた、自宅近くの教室です。

 息子は23日にも同じ教室で指導し、27日は地元の炉畑将棋サロン、4月3日は愛知県一宮市の愛岐会、4日は同県豊橋市の愛知棋匠会と、お世話になった場所へ伺い、指導対局をしました。

 息子は奨励会時代から指導対局をしていましたが、プロとしての指導対局は、息子にとっても皆さんにとっても、格別の感情があったと思います。

 当時はまだコロナ禍がひどく、将棋連盟の新人イベントや県庁将棋部の指導対局会など、中止や延期となったイベントも多かったのですが、4月7日には浅野健司各務原市長から表彰され、5月3日には棋士会のユーチューブに出演しました。今は、さまざまなイベントが行われるようになり、大阪や京都でよく指導対局をしているそうです。

 小学生時代の息子は、しばしば、「都会の子たちは、棋士の指導が受けられるからいいなあ」と話していました。岐阜県には棋士がいなかったため、棋士の指導が受けられる機会はほとんどなかったからです。

 小学生のときは、長期休暇のたびに関西将棋会館へ行き、棋士の指導対局を受けました。都会の子には日常の風景であっても、息子にとっては特別な時間であり、棋士の先生が優しく教えてくれることが、とても楽しかったようです。

 奨励会に入ってからは、「棋士が身近にいる都会の子と違って、田舎の子には棋士は遠い存在だから、プロを目指そうという子も、強くなる子もなかなか出てこない。自分が棋士になって、そういう状況を変えたい」とよく話していました。

 県内で初めて行った指導対局会の新聞記事には、「高田四段は昇段後、地元岐阜で子どもたちに指導対局するのを待ち望んでいた」と書かれていましたが、その通りだったと思います。

 将棋に打ち込み、ある程度強くなった子にとって、地元に棋士がいるかどうかは、重要な問題です。棋士を目指して奨励会試験を受けるには、推薦してくれる棋士の存在が必要ですが、そのことは、棋士のいない県の子にとって、高いハードルになるからです。

 地元に棋士がいて、プロが身近な存在であれば、その姿が子どもたちの目標になり、もっと頑張ろうという意欲にもつながります。

 息子はまだ若いため、これまでは弟子入りの依頼を断ってきていますが、いつか、地元の子を弟子に取り、再び岐阜県から棋士が出てほしいと考えているのではと思います。

(「文聞分」主宰・高田浩史)