高校野球の名門県岐阜商はもとより、岐阜県のレベルアップに多大な貢献を果たし、今月末で勇退する鍛治舎巧監督は28日、同高で勇退会見を行い、万感の思いを語った。一問一答を完全版で掲載する。

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―6年5カ月の母校監督を振り返って。まず就任時は
鍛治舎 前任の熊本の私学・秀岳館高校監督時代に母校のOBから2年間にわたり「そろそろ帰ってきて監督をしてくれないと、大変なことになっているぞ」と話をいただきました。
秀岳館高校を退任する同じ2017年夏に同じ公立高校にコールド負けをするというショッキングなことがありました。
その後、岐阜県教育委員会、競技スポーツ課、岐阜県野球協議会の後藤寿彦会長からも話がありました。まだ何も決まっていないのに12月末に大阪のスポーツ紙に書かれて、新聞辞令で監督に決まりました。
県岐阜商硬式野球部は非常に県民から愛され、ただ勝てばいいというだけではなく、選手が成長するという元のベクトルに戻すことを同時進行でやっていかないといけないと思った。
当初はそんなに難しくないと思っていたが、来てみてびっくりしました。
130キロ投げる投手が一人もいない、打者のスイングスピードも130キロは一人もいない。しかも計測すらしていなかった。
まずは130キロを超えようとスタートしましたが、春の県大会準決勝で中京に1―4で敗れたが、選手は笑顔で中京相手によく頑張ったという自己評価なんですね。
これは本腰入れてやらないと大変なことになるなと思ったのがスタートでした。
■3年間まるまるコロナとの戦い
―それ以後のレベルアップは。
鍛治舎 何とか1年半経って、今、青山学院大で主将をしている佐々木泰が2年の秋に東海大会で準優勝して、選抜に選ばれた。
決勝の相手は中日にいる高橋宏斗投手がエースの中京大中京で負けていたが、高橋君から八回に一気に4点取って追いついた。最後は競い負けて7―9でした。
選手に中京大中京は神宮大会で優勝するよと言っていたんですが、その通りになり、我々は日本一を狙えるレベルにあると話をしました。
140キロ投げる投手が4人いて、打者はベンチ入り全員がスイングスピード140キロを超えていた。
ところが、さあという時にコロナになった。春も夏も甲子園は中止になって、岐阜県の独自大会も校内のコロナ感染で辞退した。
甲子園の交流試合はほぼ練習していない状態で五つのエラーが出て負けたが、佐々木が九回に大会で3本しか出なかった本塁打を放った。
コロナで練習もままならないまま次の21年は春夏、甲子園に出場したが、いずれもサヨナラ負け。
22年はコロナ感染で18人中10人の選手変更を余儀なくさせられた。3年間まるまるコロナとの戦いでした。
練習できないためバッテリー、学年ごと、指導者、保護者とグループLINE(ライン)でやりとりしながら全体を押し上げていった。
その後も毎年、春秋含めてどこか県で優勝するよう成長軌道に乗せられ、次の100年も同じように戦える基礎基盤をつくることができた。
秋のチームは強いです。佐々木のチームよりバッティングはいい。投手はやや弱いが同等の力はある。いい形で引き継ぎができるなと思っています。
■非常にいい人に引き継げる
―後任については。
鍛治舎 1年目から後任については、いろいろ相談しながら人選を進めてきました。...