1994年選手権に出場した大垣商。2年生ながら1番打者として活躍した於保成明さん(46)は、中学の時に日系ブラジル人の父親の仕事のために来日し、大垣商に入学。全国的に珍しい定時制の生徒で全日制の野球部に所属し、甲子園出場を果たした。於保さんに思い出を聞いた。
2024年は、高校野球の聖地・甲子園球場が開場して100周年を迎えます。岐阜新聞電子版で毎週木曜日に各年の感動を当時の紙面と主力選手インタビューで振り返る「甲子園100年ぎふ」を連載中。そのインタビュー記事をWebで紹介します。電子版はこちらから。「媒体」で「ぎふ高校野球」を選択してください。

於保成明(おぼ・しげあき)1978年、ブラジル・ウムアラマ生まれ。中学2年で来日。大垣商では定時制に通いながら1年秋から1番中堅手。卒業後、岐阜日野自動車に入社し、軟式野球で活躍。現在、岐阜西ボーイズでコーチを務める
―大垣商入学の経緯は。
於保 ブラジルでやっていた野球は、日本にきて、日本語がまったくわからない自分にとって、唯一、仲間とコミュニケーションできる手段だった。大垣商は甲子園を目指せる学校で、監督の諏訪俊彦先生と、中学の学年主任の先生が話し合って、定時制に通いながら全日制の野球部に入部できる道を開いてもらった。
―部活は大変だった。
於保 午前中は自動車部品の工場でアルバイトし、午後から筋トレやティーバッティングの個人練習に打ち込んだ。全体練習に参加できるのは定時制の授業が始まるまでのわずか1時間だったが、つらいと思ったことは一度もない。...