鍛治舎巧監督(73)のインタビュー5回目は「名将のチームづくり」。しっかりした根幹、土台を築きつつ、全国の高校野球の現状、次代も見据え、個々の選手の特性を見抜くなど、あらゆる状況に対応するチームづくりのコツについて聞いた。

東海大会でエース森厳徳に声をかける鍛治舎巧監督=2023年10月22日、長良川球場
 鍛治舎巧(かじしゃ・たくみ) 1951年、揖斐郡大野町生まれ。岐阜商高(現県岐阜商)のエースとして69年選抜ベスト8。早大を経て社会人野球の松下電器(現パナソニック)で選手、監督。全日本コーチも務めた。中学硬式野球では、枚方ボーイズ監督として12年間で12度日本一になった。高校野球はNHK解説者を25年務め、同社役員を退任した2014年春、秀岳館高(熊本)監督に就任し、3季連続甲子園ベスト4。母校監督は18年春から24年8月末まで務め、春夏4度の甲子園に導いた。現在、枚方ボーイズ監督に復帰した。

 ―新基準バット導入元年だった昨年2024年、選抜優勝の健大高崎(群馬)、夏優勝の京都国際の勝因、そのチームづくりとは。

 鍛治舎 選抜の健大高崎は何より勢いで優(まさ)った。選抜前のオープン戦で初戦、2戦と圧勝して勢いが加速した。安定した投手力、迫力ある打線、伝統の走力、それに勢いが加わり、そのまま優勝まで駆け上がった印象。選手を伸び伸びプレーさせた青柳博文監督の采配は素晴らしかった。

 2017年選抜だったと記憶しているが、健大高崎が機動破壊を標ぼうしていた頃、私が監督だった秀岳館(熊本)が準々決勝で圧勝。U18エース格に成長した川端健斗(立教大卒)が完投勝利。「機動破壊を破壊するには、無視することだ」と送りだしたが、指示通り、健大高崎相手に、ただの1球も、けん制球を投げなかった。

 試合後、青柳監督とコーチがストレッチ会場に来て「いくつか走りましたが、完全に無視されてむなしい盗塁でした。走るだけでは甲子園では勝てませんね。三拍子そろった秀岳館の野球を目指します」と言ったのを懐かしく思い出す。

甲子園交流試合で采配する鍛治舎巧監督。左は高木翔斗(広島)=甲子園

 それ以降、翌2018年、私が県岐阜商に移ってからも毎年、岐阜に来て試合を重ねた。長い付き合いになったが、健大高崎優勝の瞬間は、感慨深く涙があふれた。

 京都国際はグラウンドが狭いので、バッティング練習は室内でしかできない厳しい環境。そこで、強いゴロを打てと、一日千本以上、ずっと強いゴロを打たせたようだ。それが甲子園のヒットゾーンの三遊間、一、二塁間、センター前に、低い当たりで抜けるヒットを量産することになり、打線がしっかりつながって勝ち切った。

 優勝の要因として、中崎琉生と2年生の西村一毅というチェンジアップのいい左ピッチャーが2人いたのが大きいが、低く速い打球をヒットゾーンに集めたのが優勝したもう一つの大きな要因だった。

 ―健大高崎の新たな野球は〝鍛治舎野球〟がモデルだったんですね。京都国際も時代にマッチした野球で日本一になった。

 鍛治舎 京都国際の小牧憲継監督が先日、私の枚方の自宅に遊びにきてくれた時に「あのバッティングだけでは次は勝てないよ。相手も研究を重ね対応してくるからね」と伝えた。

 「次に何がくるかわかっているかな。...