雨が地面を冷たくぬらす4月のある水曜日の夕方。県の玄関口、JR岐阜駅は大勢のサラリーマンや学生、買い物客らでにぎわっていた。それとは対照的に、南口にある公園・清水緑地に一人、また一人と、無精ひげがのぞく中高年の男性ばかりが集まってくる。「アーメン」。6人が祈りをささげ、あずまやで雨をしのぎながらけんちん汁をつつき始めた。
岐阜市や近郊のキリスト教プロテスタントの有志が毎週水曜日に行っている、困窮や孤独などを抱えた人の支援活動だ。「今日は何しとったの」「まだ寒いね」。振る舞われた温かな食事を囲み、たわいもない世間話で盛り上がる。歓談は約1時間で散会。別れを惜しみつつも、それぞれの「家路」につく。
とはいえ、70代の男性が帰る「住まい」は、目と鼻の先にある橋の下だ。家はなく、この支援活動を通じて寝袋などを手に入れた。「こんな暮らしには慣れてないで、悲しいわ。お金が無いから、うろうろせないかんで」と話す別の60代の男性にも、住まいはない。「夜は寝られん。何をしているか周りに聞かれるのが嫌でね」。夜中は自転車をこいで市街地をうろつき、日中は公共施設の片隅で仮眠を取って時間をつぶすという。
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厚生労働省による2023年の「ホームレスの実態に関する全国調査」では、県内のホームレスはわずか3人。最多は20年前の86人で、それから年々減少している。調査は市町村別の人数を明らかにしていないが、岐阜市の担当者は岐阜新聞社の取材に「市内にホームレスはいない」と説明した。
支援活動を受ける男性らが「お母さん」と呼ぶ主宰者の藤村和美さん(60)。20年ほど支援を続けているが、「確かにあまり見かけなくなったけど、実際に減ったかどうかは分からない」と実感を話す。現に、支援を定期的に受ける6人のうち、住まいがない人は半数ほど。行政による調査や支援の目が行き届かず「ゼロ」にされている人が、確かにここにはいる。
「市民からの通報があって公園などを見に行っても、荷物やブルーシートがあるだけで姿がないんです」。市の担当者は「ゼロ」の理由をこう説明した。市職員が毎年12月に調査するものの、厚労省に報告する数字は2年連続でゼロ。「『いるだろう』という思いはあるけど、実態がつかめていないんです」
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ホームレス自立支援法は12条で「民間団体との緊密な連携の確保に努めるとともに、その能力の積極的な活用を図るものとする」と国と地方公共団体に求めているが、藤村さんは岐阜市と「緊密な連携」をした記憶がない。数年前、市の担当者とホームレスについて電話でやりとりしたが、その後、市から連絡を受けたり、市職員が支援の場に来たりしたことはないという。「生活保護の申請のため市の窓口に行ったホームレスが『まずは住所を作ってください』と追い返されたと聞いたこともある」。市の不十分な対応が浮かぶ。
60代の男性は「橋の下では寝たくないし、早く脱却したいね」と語り、雨の街に消えていった。緑地はいつもと同じ光景に戻り、そして隣接するJR岐阜駅もまた、普段通り多くの乗降客が行き来していた。
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行政の調査では「減少した」とされるホームレス。だが、立ち直りの原点となる住まいを得るには、さまざまな障壁が立ちはだかる。行政や民間組織の連携は十分で、支援は行き届いているのか。壁に阻まれた人は、どこを漂流しているのか。ホームレスと住まいを取り巻く現状を追った。
【ホームレス自立支援法】 正式名称は、ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法。2002年、1990年代後半に社会問題化したホームレスの増加を受け、10年間の時限立法として制定。路上生活者の雇用や住居の確保など国や自治体の責務を規定しており、「ホームレスの実態に関する全国調査」は同法に基づいている。法律は12年に5年間、17年に再度10年間延長された。
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