「郡上、越前(福井)、越中(富山)三方から5千余騎の幕府方守護軍が飛騨に攻め入った。姉小路古川家の尹(まさ)綱軍はわずか500余騎で多勢に無勢。小島の城に追い詰められ、城中の男女5800余人が灰になった」。1411年の応永飛騨の乱を伝える後世の軍記物「続太平記」の要約だ。乱で亡くなった兵士を弔う「千人塚」が、高山市国府町広瀬町の「こくふふれあい公園」の片隅にある。...
応永飛騨の乱弔う千人塚 兵士犠牲者数、検証の余地 戦国飛騨をゆく(4)
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