「お馬さんだ~」と駆け寄る子どもたちの前で、いつも立ち止まって、記念撮影に収まる姿はほほ笑ましいものだった。
笠松競馬場の魅力の一つは、ファンと競走馬の距離が近いこと。笠松競馬場一筋に「生涯現役」を貫いたパクじぃ(ハクリュウボーイ)は30歳まで長生きし、2013年6月1日に老衰のため、天国へと旅立った。
1985年にデビューし、レースでは50戦12勝、2着8回と好成績。90年から誘導馬を務めたほか、スタンド前やウイナーズサークルでのファンとの触れ合い、入場門での出迎えなどで人気を集めた。誘導馬としては1日10レースあれば、装鞍所からパドックまで10往復で10キロ以上を歩いたことになり、たくましい馬体が印象的だった。
地方競馬全国協会(NAR)は2010年2月、パクじぃに対して、業務馬としては初めてとなる感謝状を贈呈した。「競走馬、誘導馬として長年活躍。ファンに愛されながら、人と馬の触れ合いの場である笠松競馬に、大きく貢献している功績をたたえます」との内容。オグリキャップも引退直後に、競走馬としては唯一の「NARグランプリ特別功労賞」を受賞している。笠松競馬の名を全国に高めた芦毛馬2頭は、地方競馬発展に尽くしたとして、活躍がたたえられた。
パクじぃが感謝状を受けた年の「NARグランプリ」では、全日本2歳優駿(JpnⅠ、川崎)を制覇したラブミーチャンが、2歳馬初の年度代表馬に輝いている。経営面では厳しい状況が続いていた笠松競馬だったが、「明るい未来が開けてきた」と、名馬の里の関係者は大きな喜びに包まれた。
「家族の一員」として20年以上、パクじぃを世話してきた塚本幸典さんは「感謝状をもらえたのはファンのおかげ。パク自身、人との交流が生きがいになっているのかも。一日一日の触れ合いを大切にしたい」と、喜びと感謝の気持ちを伝えた。表彰を記念して、全国のファンが協賛レースも開催。「パクじぃ 僕も頑張るよ」「現役四半世紀記念」など、1日に七つもの冠レースが行われた。感謝状と誕生日を祝福するセレモニーでは、ファンからパクじぃにニンジンが贈られ、交流を深めた。
岐阜市の視覚障害者福祉協議会のメンバーが笠松競馬場を訪れたことがあった。参加した目の不自由な方たちは、パクじぃをなでたりして触れ合いを楽しみ、「毛並みがふわふわしていて、とても元気そう」と喜んでいた。笠松競馬では、引退した競走馬たちを医療分野で活用する「ホースセラピー」の実施に向けた取り組みも進められている。癒やし効果も期待され、競馬場の新たな活用法として注目される。
競走馬、誘導馬として約28年間、笠松競馬の振興に尽くしてきたパクじぃ。その最期は、笠松の若い誘導馬2頭にも見守られて、安らかな顔だったという。「パクじぃさよならレース」が開催され、献花台も設置された。記帳ノートには「大好きでした。笠松競馬をずっと見守っていてください」などと、全国から来場したファンのメッセージが寄せられた。
パクじぃのブログは現在もまだ開設されており、6月には「今年も命日にお花が届きました。ありがとうございます」と感謝のメッセージ。笠松競馬に貢献したパクじぃの遺志は、エクスペルテ、ウイニーの誘導馬2頭に引き継がれた。
日本一の競走馬と最高齢の誘導馬。笠松で一緒に走り、白馬になったキャップとパクじぃは天国で再会し、笠松競馬の守り神となったに違いない。愛され続けた2頭の雄姿は、ファンの目にいつまでも焼き付いていることだろう。
全国各地では夏競馬真っ盛り。中央競馬もローカル色豊かに、中京、福島、函館が開催され、小倉、新潟、札幌へと熱く続く。16日の中京では、笠松リーディングの佐藤友則騎手が存在感を示した。最終レースのフィリピントロフィーでは、8番人気リッパーザウィンに騎乗し、鮮やかに勝利のゴールを切った。「諦めずに追ったら、しぶとく伸びてくれた」と、豪快な差し脚で、6頭が同タイムでゴールする激戦を制した。
ファンにはお待たせ気味だったが、佐藤騎手は今年のJRA初勝利となった。通算7勝目で、特別レースは初めての勝利で喜びは格別。メインの名鉄杯では、コパノチャーリーで逃げ切りを狙ったが、惜しくも3着。最後の2レースは「友則パワー全開」で見せ場たっぷりだった。
函館記念(GⅢ)では、笠松競馬出身の柴山雄一騎手が、5番人気ルミナスウォリアーで今年初の重賞制覇と気を吐いた。ローカル開催では、地方競馬所属・出身騎手による好走も多いようで、思わぬ高配当を呼び込んでくれる。佐藤騎手は、23日には笠松のマルヨアキトで渥美特別(中京)に、25日にはハイジャで習志野きらっとスプリント(船橋)に参戦する。8月の笠松競馬は2日を皮切りに、お盆シリーズなど計11日間開催されるので、足を運んでほしい。