2005年4月に起きた尼崎JR脱線事故の現場=兵庫県尼崎市

 乗客106人と運転士が死亡した2005年4月の尼崎JR脱線事故から25日で20年。快速電車は制限を大幅に上回るスピードで急カーブに進入して脱線、線路脇のマンションに衝突した。国土交通省航空・鉄道事故調査委員会(当時)の07年公表の調査結果を基に、当日の様子を振り返る。

 男性運転士=当時(23)=はオーバーランで懲罰的な「日勤教育」を受けたことがあった。事故列車は午前9時過ぎ、定刻の約15秒遅れで宝塚駅を出発した。

 二つの駅に停車した後、次の伊丹駅の手前を約113キロで走行中、運転室に自動列車停止装置の警告音が響いた。走り続けて駅を通過。停止位置から約72メートル先で止まった。

 バックして停止位置を行き過ぎ、伊丹駅の出発は定刻の約1分20秒遅れに。その後、一時は福知山線の最高速度(時速120キロ)を超す124〜125キロに達した。

 通過駅の塚口を過ぎ、線路は直線区間から半径304メートルの右カーブに。当時の制限速度は70キロだったが、時速約116キロでカーブに入ると大きく左に傾き、1〜5両目が脱線した。