2024年は、高校野球の聖地・甲子園球場が開場して100周年を迎える。岐阜県代表は選抜、選手権合わせて122回出場し、さまざまな名勝負、ドラマ、思い出を聖地に刻んできた。岐阜新聞電子版で毎週木曜日に各年の感動を当時の紙面と主力選手インタビューで振り返る「甲子園100年ぎふ」を連載する。今回は岐阜県高校野球の歴史を大きく転換させた2006年選抜の岐阜城北、立役者のエース尾藤竜一さん(35)に激闘の甲子園を振り返ってもらった。
―4試合の中で、ターニングポイントの試合は。
尾藤 やはり2回戦の智弁和歌山戦ですね。いわずとしれた強豪で優勝候補。チーム全員「無理だろうな」と思ってましたし、自分も「何点取られるだろうな」と全く自信なかった。
―2回までは3人ずつで抑え、しかも5奪三振。ところが三回に一挙6点取られるんですよね。
尾藤 すごい打線で、特に阪神に入った橋本(良平)はじめ主軸は警戒した。それが、対戦してみて、打者の雰囲気や反応から、打たれる感じはしなかった。でも、三回はエラーから流れが全く変わった。コントロールもきかなくなり、甘く入った球を痛打され、失点が重なった。
―それがその裏に一気に追いつくんですよね。
尾藤 序盤で6失点なんてエース失格ですよね。つないですぐ逆転してくれた仲間のおかげ。あの回6安打し、全員「いけるぞ」という雰囲気になった。
―自身も二塁打を打ち、次の四回に勝ち越し2ラン打ってますよね。
尾藤 2ランははっきり覚えています。インコースの厳しいストレートでしたが、好きなコース。打った瞬間手応えがありました。

―そこから快投ですね。
尾藤 こうなったら、何としても勝ちたいという気持ちが高まって、アドレナリンが一気に出て、ギアを上げた。気を抜かずに決め球のスライダーをうまく使い、一球一球大切に投げた。でも、もし6点取られたのが終盤だったら、負けていたかもしれない。焦りも出てきますしね。智弁和歌山に勝ったことで自分たちはやれる。優勝したいと本気で思った。準々決勝で神港学園(兵庫)は完封しましたが、ただ、肘がもう限界だった。それにもまして準決勝で負けた横浜は本当に強かった。
―岐阜の歴史を変えたという意識は。
尾藤 高校生なので当時はよくわからなかったが、47年ぶりと聞いて、そんなに勝ってなかったと驚いた。でも、田中将大(楽天)は出場できなかったが前田健太(MLB・タイガーズ)や斉藤佑樹(元日本ハム)、坂本勇人(巨人)といったすごい連中が同学年で出ていた中で、よくやれたなあと思います。
―尾藤さんにとって、甲子園とは。
尾藤 人生を変えたなと思います。甲子園のおかげで、進学し、プロにも入れ、長く野球人として歩んでこられた。今でも関市で井藤真吾(元中日)とともに中学生を対象に野球教室を主催しています。藤田明宏先生が監督をしている朝日大でコーチをさせてもらい、充実した毎日を過ごさせてもらっています。
―岐阜の球児たちへのメッセージを。
尾藤 高校3年間はあっと言う間。後悔のないよう練習にも試合にも一生懸命に取り組んでほしいです。
(聞き手・デジタル戦略室 森嶋哲也)