貞明皇后に虹波の投与結果を報告後、陸軍第7技術研究所の前で撮影されたとみられる写真。左から2人目が陸軍技術研究所の長沢重五所長。右端は菊池恵楓園の宮崎松記所長(国立療養所菊池恵楓園歴史資料館提供)

 戦中戦後に国立療養所菊池恵楓園(熊本県合志市)で、ハンセン病患者に開発中の薬「虹波」が投与されていた問題で、1943(昭和18)年に同園所長らが皇室に投与結果を報告していたことが10日、同園入所者自治会への取材で分かった。専門家は「政府予算の獲得を目指したのでは」と指摘した。

 宮内庁書陵部が59年に編さんした「貞明皇后実録」によると、43年11月20日、昭和天皇の母で当時皇太后だった貞明皇后は、同園の宮崎松記所長や陸軍技術研究所の長沢重五所長ら4人と面会。虹波に関する説明を受け、投与したハンセン病患者の治癒経過を撮影した映像を見た。

 同園に所蔵されていた写真では軍服とスーツ姿の4人が、虹波の研究が行われていた陸軍第7技術研究所(7研)の建物の前で並んでいる。

 同園歴史資料館の原田寿真学芸員は貞明皇后への面会後に記念撮影され、のちに複写されたものである可能性が高いとして「陸軍研究所の資料の多くは焼却されており、貴重だ」と評価した。