1983年、伝説の左腕湯口敏彦さん以来13年ぶりに甲子園出場を果たした岐阜第一。岐阜県が誇る名物監督の梶浦博さんが率い、春夏連続出場し、選手権ではベスト8と躍進した。選抜初戦の尽誠学園(香川)戦では県勢選抜50勝目、選手権2回戦川之江(愛媛)戦では、選手権県勢50勝目で春夏通算100勝目のメモリアル勝利の年。主将で、後に母校の監督も務め、選抜に導いた白木孝明さん(58)に秘話を聞いた。

 2024年は、高校野球の聖地・甲子園球場が開場して100周年を迎えます。岐阜新聞電子版で毎週木曜日に各年の感動を当時の紙面と主力選手インタビューで振り返る「甲子園100年ぎふ」を連載中。そのインタビュー記事をWebで紹介します。電子版はこちらから。「媒体」で「ぎふ高校野球」を選択してください。
春夏連続出場で選手権ベスト8の思い出を語る岐阜第一の主将白木孝明さん=岐南町三宅、岐阜女高
 白木孝明(しらき・たかあき) 1965年、真正町(現本巣市)生まれ。岐阜第一高では二塁手、主将。中京大を経て、社会人野球のJR東海で活躍。母校岐阜第一の教員となり、監督として2001年選抜出場に導く。現在は岐阜女高生徒指導副部長、岐阜笠松ボーイズでコーチを務める。

 ―前年の夏は岐阜大会準優勝。県内無敗のスタートとして秋を制し、東海も優勝し、満を持しての選抜。初戦が県勢選抜50勝目のメモリアルゲームだった。

 白木 グラウンドがじゅうたんのようにきれいで、踏んでもいいのかと思うくらいだった。緊張し、最初の打席は三振だったので、二回の2打席目は積極的にいこうと初球のボール気味のインハイを振り抜き、右中間三塁打だった。この回に4点を先制したことで、勢いに乗って、試合を有利に進められた。

 ―2回戦はやまびこ打線で一世を風靡(ふうび)し、夏春連続優勝した池田(香川)に1―10でした。

 白木 相手エースの水野(雄仁、元巨人)君がとにかくすごかった。...